国鉄青森鉄道管理部列車運行指令室

所在地 青森市安方1丁目3−29
現在名称 JR東北バス青森支店
施工 国鉄盛岡地方施設部
建築年 昭和20年7月

 

 昭和19年7月サイパン島の陥落により、本土空襲の恐れが現実のものとなった。アメリカ軍の空襲が鉄道に向けられた場合、国内の輸送が局地輸送となることを恐れた運輸通信省は、日本各地の鉄道拠点に耐弾構造の信号指揮所を設置することに決定、北海道炭内地輸送の重任のあった青森鉄道管理部でも、20年春から突貫工事で建設されたという。

 建物は、上空5000メートルからの100キロ爆弾の水平爆撃にたえらることが求められたため、屋根、壁とも厚さ50センチの鉄筋コンクリートで覆われた要塞構造となった。昭和20年7月27日竣工。29日引渡しの予定だったが、7月28日の青森空襲により、窓枠から火が回り全焼、一度も使用されることなく、終戦を迎えたという。皮肉にも、隣接した木造の青森駅舎は、駅職員の必死の防火作業もあって、焼失を免れている。

 現在では、十和田湖観光の拠点として、JRバス青森支店の旅客待合室として使用されており、日々多くの観光客でにぎわう。


 


右手奥のコンクリート建物が指令室。
左奥は焼失を免れた青森駅(1945年9月25日撮影)




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