第二時大戦に於けるアメリカ陸軍航空軍戦闘日誌

(対本土作戦のみ)

1945年 5月



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〇第11空軍
B−24 1機は、千島上空を天候偵察。

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〇第7空軍
硫黄島駐屯P−51 12機は父島の無線通信所を攻撃。

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〇第20空軍
B−29、68機は大刀洗、宮崎、都城、鹿屋第二、国分の飛行場を爆撃。
他に88機は関門海峡、瀬戸内海に機雷敷設。
大刀洗の任務において戦闘機10機の破壊を主張。

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〇第20空軍
B−29 47機は大分、大村、佐伯、松山の飛行場を攻撃。

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〇第20空軍
B−29 45機は大分、大刀洗、鹿屋、知覧の飛行場を爆撃。
B−29 148機(テニアンから対日初出動の第58爆撃団のB29を含む)は呉の海軍航空廠、海軍工廠を攻撃。
他に86機は東京湾、伊勢湾、瀬戸内海に機雷敷設。
B−29は戦闘機11機の撃墜を主張。
〇第11空軍
B−24、1機千島上空気象観測。

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ドイツ最高司令部無条件降伏。
〇第20空軍
B−29 41機は宇佐、大分、指宿、鹿屋の飛行場を爆撃。宇佐、大分の任務において34機の破壊を主張。

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〇第20空軍
B−29 40機は鹿屋、都城、大分、松山の飛行場を爆撃。
〇第7戦闘機集団
硫黄島のP−51は木更津飛行場に対する攻撃に94ソーティー。
〇第11空軍
占守−幌筵間に相当の船舶をレーダー探知。したがって、B−24、12機が出撃、密雲を通してレーダー爆撃。もう一機のB−24は占守−幌筵間にレーダー探査出撃。

5月10日

〇第20空軍
B−29 42機は松山、宇佐、宮崎、鹿屋の飛行場を攻撃。
他に302機は徳山海軍燃料廠、大竹製油所、奄美大島の海軍燃料庫施設を爆撃。
B−29は10機の破壊を主張。
〇第11空軍
第11空軍と第4艦隊航空団は最大で、最も成功した合同攻撃任務を遂行した。B−24 12機は片岡海軍基地の船舶を爆撃。帰途、西幌筵・東幌筵上空で写真偵察飛行。
アッツ島駐屯B−25 16機が出撃した。1機は中止。他は柏原−片岡間の船舶を攻撃。激しい対空砲火が主張され、B−24、B−25各1機はソ連に不時着。

5月13日

〇第20空軍
B−29、12機は関門海峡に機雷敷設。

5月14日

〇第20空軍
B−29 472機は名古屋北部地域を粉砕。敵機約20機を撃墜。単一任務としては、第58爆撃団の超重爆が第78、313、314爆撃団と合同した第21爆撃機集団の最初の4個航空団攻撃である。

5月15日

〇第11空軍
B−24 13機は柏原−片岡地区を爆撃。船舶1隻の破壊、もう1隻への直撃弾を主張。レーダー活動を調査。霧で観測は制限された。対空砲火はB−24 2機を損傷させ、内1機はソ連に不時着。

5月16日

〇第20空軍
B−29 25機は関門海峡、舞鶴、宮津港に機雷敷設。

5月17日

〇第20空軍
0300から0600にかけB−29 457機は名古屋南部地域を粉砕。他に11機が臨機目標を攻撃。
〇第7空軍
硫黄島のP−51は厚木に対し41ソーティー。パイロットは駐機中の10機の破壊を主張。伊江島に到着して(5月13日から19日にかけ)ほどない第318群のP−47 2機は18日にかけ、第7空軍の対日昨占初任務となる九州上空喧騒任務を飛行。 

5月18日

〇第20空軍
第509混成群先遣隊はテニアン島ノースフィールドに到着。同群は対日原子爆弾投下攻撃を予定した。指揮官はヨーロッパ、北アフリカ戦線において第97爆撃群で優れた記録をたてたパイロッ、Paul W Tibbets Jr大佐。
19日にかけてB−29 30機は関門海峡、敦賀港に機雷敷設。
〇第7空軍
伊江島のP−47 8機は奄美群島久米島のレーダー施設等を銃爆撃。他にP−47は19日にかけ対九州喧騒飛行。
〇第11空軍
B−24 8機は片岡の飛行場、港湾を爆撃。もう1機のB−24は千島列島の敵レーダーを探査。

5月19日

〇第20空軍
B−29 272機は浜松市街を爆撃。
〇第11空軍
B−25 8機は南岬レーダー施設、Naka Rの製罐工場爆撃を試みた。唯一1機だけが目標を捕捉、銃爆撃した。強烈な対空砲火と戦闘機に襲われ、B−25 1機が撃墜、さらに1機が行方不明となり、もう1機がペトロパブロフスクに着陸した。

5月20日

〇第20空軍
21日にかけ、B−29 30機は関門海峡、舞鶴港、He-Saki 泊地に機雷敷設。
〇第7空軍
伊江島駐屯P−47 9機は福江島の格納庫と小船2隻を攻撃。
他のP−47 32機は九州の鉄道、建物、レーダー施設を攻撃。
〇第11空軍
B−24 8機は本月最大、最成功した任務を達成。松輪飛行場格納庫、掩体壕を爆撃。

5月21日

〇第7空軍
22日にかけP−47は対九州喧騒攻撃を飛行。

5月22日

〇第20空軍
B−29 30機は関門海峡に機雷敷設。

5月23日

〇第20空軍
24日にかけ、B−29 562機のうち520機は湾岸西側から皇居の南側までの東京都市産業地域爆撃に送られた。第二次大戦における単一任務で最大数のB−29参加。
〇第11空軍
B−24 7機は片岡海軍基地をレーダー爆撃。他にもう1機が同地区のレーダー探査任務を飛行。

5月24日

〇第20空軍
25日にかけ、B−29 25機は関門海峡、新潟、七尾、伏木に機雷敷設。
〇第7戦闘機集団
硫黄島の戦闘機 120機は天候の為、所沢・松戸に対する発進を中止。

5月25日

統合参謀本部は1945年11月を予定した対日本本土侵攻作戦「オリンピック」を承認。
〇第20空軍 
26日にかけB−29 464機は工場・民家同様経済、商業、行政区域が含まれる5月23−24日爆撃された箇所の北側、皇居の南側の東京市街を粉砕。この任務で26機を損失、第二次大戦における超重爆の一日の損失としては最大。機銃員は戦闘機19機の破壊を主張。
〇第7戦闘機集団
太平洋艦隊司令部の同意により、第7戦闘機集団はその下部部隊と共に、第20空軍の指揮、管理下に配置。
硫黄島駐屯戦闘機は松戸・所沢に対し73ソーティー実施。
〇第11空軍
B−24 2機は松輪上空レーダー探査任務を飛行、Tagan 崎地区を爆撃。もう1機は武装天候偵察。

5月26日

〇第20空軍
27日にかけ、B−29 29機は関門海峡、伏木、福岡、唐津に機雷敷設。

5月27日

〇第20空軍
28日にかけB−29 9機は関門海峡に機雷敷設。

5月28日

〇第7戦闘機集団
硫黄島からの戦闘機は霞ヶ浦と飛行場を攻撃。6機の破壊と40機以上の撃破を主張した。
29日にかけP−47は対九州喧騒攻撃を飛行。
日本は沖縄で最後となる強力な航空攻撃を遂行、多くの船舶を攻撃し駆逐艦Drexlerを撃沈した。

5月29日

〇第20空軍 
第509混成群の地上隊はテニアンに到着。
焼爆空襲としては初めて、第7戦闘機集団からのP−51 101機の護衛の下、B−29 454機は焼夷弾で横浜を爆撃、湾岸の主用商業地域(市の三分の一)を破壊した。横浜の焼失区域はほぼ9平方マイルにも及んだ。約150機の戦闘機が編隊を攻撃。B−29 7機とP−51 3機が失われた。P−51は戦闘機26機の撃墜、超重爆は同6機の撃墜を主張した。
〇第11空軍
B−25 4機は幌筵−占守東岸の船舶掃蕩を天候に阻まれた。

5月30日

〇〇第7空軍
伊江島のP−47 28機は奄美大島と沖永良部の船舶、灯台を攻撃。

5月31日

〇第7空軍
伊江島のP−47 8機は奄美大島の建物、兵舎、水上機駐機場を機銃掃射。


U.S. Army Air Forces in World War II
Combat Chronology 1941 -- 1945

Compiled by Kit C. Carter and Robert Mueller

Center for Air Force History
Washington, DC 1991
Library of Congress Catalog Card No. 75-600031

Reprint of 1973 edition, 1991



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