第二時大戦に於けるアメリカ陸軍航空軍戦闘日誌

(対本土作戦のみ)

1945年 6月



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〇第20空軍
超重爆に護衛として付き添った第7戦闘機集団P−51 148機はひどい前線に遭遇した。前線通過で戦闘機の多くが空中衝突。27機が失われた。27機がB−29を見つけ出し、目標上空で護衛した。
B−29 10機を損失。B−29は敵機16機の破壊を主張。
〇第7空軍
伊江島のP−47 12機は喜界が島、徳之島、奄美群島に対してロケット攻撃。
〇第11空軍
天候のため船舶掃蕩作戦は中止。

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〇第7空軍
P−47は九州に対し喧騒攻撃。

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〇第7空軍
喧騒パトロールのP−47は奄美大島の臨機目標を銃撃。
〇第11空軍
B−24 1機は片岡へのレーダー探査任務を飛行、後続の8機は海軍基地を爆撃、写真撮影。
B−25 7機は千島に向け離陸、4機が天候で引き返す。3機Masugawa R製罐工場を超低空爆撃。

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〇第7空軍
硫黄島のP−51 8機は父島の無線局を爆撃、帰路Okimura 市街地を銃撃。
5日未明P−47は対九州喧騒攻撃を飛行。
〇第11空軍
B−25 8機のKurabu Capeでの船舶攻撃を天候のため中止。
B−24 11機は片岡海軍基地をレーダー爆撃。

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〇第20空軍
B−29 473機は神戸市を焼夷弾で粉砕。11機を失った。機銃員は日本軍機86機の撃墜を主張。攻撃は4平方マイル強を焼失、市の半分以上が被害を受けた。
〇第7空軍
伊江島のP−47は奄美群島をパトロール。灯台を機銃掃射。

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〇第7空軍
伊江島駐屯P−47 36機は九州南部を掃蕩。敵機9機撃墜を主張。
伊江島駐屯P−47は奄美群島を哨戒、灯台、建物を機銃掃射。

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〇第20空軍
第7戦闘機集団のP−51に護衛されたB−29 409機は大阪に焼夷弾と高性能爆弾を投下、日本最大の大阪造兵廠、産業目標、輸送目標を含む市のE-C sectionを攻撃。深刻な密雲のためレーダー爆撃を強いられた。B−29は市の2平方マイル以上を焼失させ55000戸以上の建物を破壊した。
B−29 26機は関門海峡、福岡、唐津周辺海域に機雷敷設。
〇極東空軍
伊江島のP−47 20機は九州の臨機目標(無線局、倉庫、輸送船、発動艇)を攻撃、敵機5機撃墜を主張。

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〇第7戦闘機集団
硫黄島駐屯戦闘機は各務ヶ原、明治飛行場への出撃を天候のため中止。

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〇第20空軍
B−29 110機は名古屋、明石、鳴尾の航空機工場を攻撃。
B−29 26機は未明関門海峡に機雷敷設。
〇第7空軍
伊江島のP−47 20機は九州の諸臨機目標を銃撃。
〇第7戦闘機集団
硫黄島の戦闘機57機は各務ヶ原飛行場とその周辺を粉砕。駐機中の敵機約20機を破壊と主張。
〇第11空軍
千島の海軍水上艦艇、航空部隊と共同し、B−24 6機とB−25 8機は気象観測を装備して、Kurabu、大泊岬、Ichinowatashi、朝日川で対船舶掃蕩。B−24は結果無し。半分の機は爆弾を投棄した。B−25はその後アライド島に陽動爆撃任務を飛行中、戦闘機8機による攻撃を受けた。回避のため、B−25はカムチャッカ上空を飛行、ソビエトの対空砲火に1機撃墜され、クルーは死亡した。もう1機被弾したB−25は、ペトロパブロフスクに不時着。これは初めてソビエト対空射撃に撃たれた米軍機である。

6月10日

〇第20空軍
第7戦闘機集団のP−51に護衛されたB−29 280機はTominka、千葉、荻窪の航空機工場、霞ヶ浦の水上機基地、立川陸軍航空廠、日立発動機製作所を爆撃した。戦闘機は敵機26機撃墜を主張。
〇第7空軍
伊江島駐屯P−47 39機は九州を掃蕩、種々の地上目標を機銃掃射、敵機17機の撃墜を主張。
〇第11空軍
海軍航空機とともにB−24 2機は船舶攻撃、小型貨物船を撃った。

6月11日

〇第20空軍
第509混成群の戦闘クルーはB−29とともにテニアン島ノースフィールドに到着。
B−29 26機は関門海峡、敦賀湾に機雷敷設。
〇第7戦闘機集団
硫黄島駐屯戦闘機は所沢を攻撃。飛行場を攻撃したパイロットは駐機中の18機を破壊、30機以上を損傷させたと主張。
〇第11空軍
千島上空船舶掃蕩のB−24 8機は密雲のため目標を発見できず、Kurabu Cape、片岡地区の施設をレーダー爆撃。

6月12日

〇第11空軍
B−25 4機は幌筵、Arahata Cape附近沖の船舶を機銃掃射、輸送船4隻、ハシケ2隻を損傷させた。B−25 1機は撃墜された。

6月13日

〇第20空軍
B−29 29機は関門海峡、新潟海域に機雷敷設。
〇第7空軍
伊江島のP−47 約40機は天草島、奄美大島、徳之島の飛行場、兵舎、無線局、建物、船舶をロケット及銃撃。

6月14日

マッカーサー大将、アーノルド大将、ニミッツ元帥は、敵の突然の崩壊あるいは降伏の場合に日本の早急の占領を準備することを指示された。

6月15日

〇第20空軍
B−29 44機は大阪−尼崎都市地域に対する焼夷任務を飛行。日本の大都市に対する集中空襲の終了。
B−29 30機は関門海峡、福岡、唐津、伏木周辺海域に機雷敷設。
第7戦闘機集団は悪天候のため大阪空襲の護衛を中止。

6月16日

〇第7空軍
伊江島にP−61到着、対九州夜間喧騒任務をP−47から引き継ぐ。
その他のP−61は奄美群島に夜間侵入任務、諸目標を爆撃。
伊江島のP−47 38機は喜界島の舟艇、対空陣地、滑走路、建物を急降下爆撃。
〇第11空軍
B−24 4機は擂鉢湾沖の船舶、南岬のレーダーサイトを銃爆撃。B−24 1機は海中に墜落。
船舶攻撃のB−25 4機は朝日湾の貨物船に至近弾を与え、鳥島列島沿いの目標を爆撃した。
B−25 2機の技術故障部隊がペトロパブロフスクに向かった。

6月17日

〇第20空軍
B−29 約450機は鹿児島市、大牟田市、浜松市、四日市市を焼夷弾で爆撃。
B−29 25機は関門海峡、神戸周辺海域に機雷敷設。
〇第7空軍
伊江島のP−47 33機は奄美群島、徳之島の無線施設、レーダー施設、橋梁、集落、飛行場、船舶を銃爆撃。
18日未明にかけ伊江島のP−61 2機は奄美群島、九州上空の侵入攻撃に天候のため失敗。これは夜間戦闘機による琉球、九州上空の夜間、昼間侵入任務キャンペーンの始まりである。(6月中にさらに12回飛行された)
〇第11空軍
B−25 4機は片岡附近で船舶を爆撃。1隻は爆発を観測、もう1隻は銃撃航の後炎上した。
他のB−25 4機は占守島からKurabu Capeまでの船舶掃蕩を飛行した。
多数の船舶が目撃されたが、地上の対空砲火のため攻撃できなかった。

6月18日

〇第11空軍
B−24 6機は海軍航空機と合同し片岡、泊岬を攻撃。密雲は結果観測を妨害した。
B−24 1機はレーダー探査任務を千島上空で飛行。

6月19日

〇第20空軍
B−29 約480機は豊橋、福岡、静岡に焼夷弾爆撃。
B−29 28機は関門海峡、新潟、宮津、舞鶴海域に機雷敷設。
〇第7空軍
伊江島駐屯P−47 47機は徳之島の飛行場を爆撃。
他の16機は奄美群島をパトロール。
〇第7戦闘機集団
硫黄島の戦闘機は各務ヶ原、明治飛行場攻撃を悪天候のため中止。
〇第11空軍
調整された船舶探査で、1機のB−24は戦域最長任務2700マイル、15 1.2時間、得撫島迄飛行した。北に向かったB−24は占守湾の南西25マイルの小船団を爆撃、船を沈め、もう1隻を大破させ、さらに2隻を燃え上がらせた。
もう1機のB−24は松輪島を爆撃、写真撮影した。
B−25 4機は戦闘機出現のため、船舶掃蕩を中断した。

6月20日

〇第7空軍
伊江島のP−47 14機は奄美群島の船舶、建物、灯台、集落と徳之島の飛行場を銃爆撃。
他の38機は大村の飛行場を爆撃、帰路徳之島を攻撃。

6月21日

〇第20空軍
B−29 25機は伏木、仙崎、七尾、湯谷湾周辺に機雷敷設。

6月22日

沖縄地上部隊は沖縄の占領を完了。
〇第20空軍
B−29約130機は姫路、各務ヶ原、明石、玉島の航空機工場を爆撃。
他の162機は呉の海軍工廠を粉砕。
〇第7空軍
伊江島のP−47約40機は奄美群島上空の戦闘哨戒、敵機11機撃墜を主張。

6月23日

〇第20空軍
B−29 26機は福岡、唐津、境、新潟港に機雷敷設。 
〇第7空軍
伊江島のP−47 38機は博多、板付飛行場を爆撃、帰投中、奄美群島で2隻の小船を攻撃。
他のP−47 40機はSaitozaki飛行場を爆撃。
〇第7戦闘機集団
硫黄島の戦闘は各務ヶ原、百里の飛行場に対し99ソーティー。敵機19機を撃墜、地上で21機を撃破したと主張。
〇第11空軍
松輪−幌筵間船舶掃蕩中のB−24 2機は輸送船1隻を沈め、2隻を損傷、捕鯨船1隻を攻撃した。戦闘機1機の破壊を主張。さらに6機のB−24は片岡を爆撃した。

6月24日

〇第7空軍
伊江島のP−47 36機は先島群島の小船と集落、黒島、石垣島の波止場、琉球の建物、集落、臨機目標を攻撃した。
〇第11空軍
船舶掃蕩のB−24 2機は密雲とシケのためKurabu Capeをレーダー爆撃。
B−25 6機によって計画された船舶攻撃も天候のためキャンセルされた。

6月25日

〇第20空軍
B−29 26機は関門海峡、舞鶴、小浜に機雷敷設。

6月26日

〇第20空軍
第7戦闘機集団のP−51に護衛されたB−29約450機は各務ヶ原、名古屋、明石の航空機工場、大阪、名古屋の軽金属工業と兵器廠、四日市の製油所(グァムから日本への第315爆撃団による初爆撃)、名古屋のその他の工場、津市を含むいくつかの代替目標を攻撃した。
B−29は20機以上の敵機の撃墜を主張。

6月27日

〇第20空軍
B−29 29機は萩、神戸、新潟港に機雷敷設。
〇第7空軍
伊江島のP−47 20機は喜界島の船舶と集落を攻撃。船舶からの対空砲火はP−47 2機を撃墜した。1隻は炎上するままにされた。
他の12機のP−47は加計呂麻島沖の船舶を攻撃、さらに20機が先島群島全域の船舶を攻撃した。
P−61 5機は浸透攻撃、奄美群島と湾飛行場沖で船舶を攻撃。
〇第7戦闘機集団
硫黄島からの、霞ヶ浦、印旛、筑波への戦闘機攻撃は天候のため中止。

6月28日

〇第20空軍
B−29 487機は岡山市、佐世保市、門司市、延岡市への焼爆攻撃を実施。
〇第7空軍 
伊江島のP−47 39機はロケットと爆弾でKoniyaの船舶を攻撃、ロケットと機銃で徳之島を攻撃。さらに26機が船舶、港湾、飛行場、水上機、集落を含む先島群島の目標を攻撃。

6月29日

〇第20空軍 
B−29 32機は下松の日本石油を爆撃。
B−29 25機は関門海峡西側、舞鶴、酒田周辺海域に機雷敷設。
〇第7空軍
伊江島のP−47 34機は串良、鹿屋の飛行場をロケットと機銃で攻撃、帰投中、七隻の小船の撃沈を主張。

6月30日

〇第20空軍
日本への最初の原子爆弾攻撃を予定された第509混成群は、テニアン島から戦闘飛行訓練を開始。  ほとんどのクルーのために、これには2機から9機編隊での帰投中のロタ島の爆撃を伴う硫黄島への航法目標フライトのような5つ或いは6つの演習任務、;2回かそれ以上のロタ島、Guguan島に対する短距離爆撃任務;トラック島に対する1長距離爆撃任務;マーカス島に対する任務を含んでいた。


U.S. Army Air Forces in World War II
Combat Chronology 1941 -- 1945

Compiled by Kit C. Carter and Robert Mueller

Center for Air Force History
Washington, DC 1991
Library of Congress Catalog Card No. 75-600031

Reprint of 1973 edition, 1991



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