第二時大戦に於けるアメリカ陸軍航空軍戦闘日誌
(対本土作戦のみ)
1942年4月
- 4月18日
- 〇ドーリットル空襲
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- 空母ホーネットを発進したB−25 16機は日本本土へ初空襲。15機が日本を爆撃、東京、神戸、横浜、名古屋が第一目標となった。爆撃機は予定より早く発進、計画の中国の基地に到着できず、15機が中国に、1機がソ連で墜落あるいは放棄された。
1943年7月
- 7月10日
- 〇第11空軍
- 第11空軍は幌筵をB−25 8機で襲撃、日本本土へ初空襲。 占守南部、幌筵水道、幌筵北部を攻撃、密雲が最大高度攻撃を邪魔し、推測航法で行われた。対空砲火には遭遇せず、敵機も目撃しなかった。B−25はアッツ島経由でアダックに帰還した。本来幌筵にB−25に合流するはずだったB−24 6機と他のB−25 5機はアッツ島沖船団の攻撃に急派された。デッキ高度攻撃で中型貨物船2隻撃沈が主張された。
- 7月18日
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- 〇第11空軍
- B−24 6機は幌筵−占守間の船舶、幌筵の村上湾の滑走路を爆撃するとともに撮影した。滑走路の南と東沿いの建物に火が観測された。数機の迎撃が見られたが、無駄だった。
1943年8月
- 8月11日
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- 〇第11空軍
- アッツ島のB−24 9機は柏原飛行場を含む幌筵の目標、片岡海軍基地のある占守島を焼爆撃。敵機40機が攻撃隊を迎え、4機を確実に、1機をおそらく撃墜。4機を撃墜したかもしれない。
1943年9月
- 9月11日
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- 〇第11空軍
- B−25 12機、B−24 8機は本年3回目、最後となる幌筵攻撃。B−24 6機は柏原前進地を爆撃。船舶が、柏原港、幌筵水道で銃爆撃された。貨物船1隻、大型輸送船1隻が沈没、輸送船1隻と貨物船2隻が損傷。他に貨物船2隻が命中を受けた。占守島の対空砲台と建物2棟が含まれる地上目標が打たれた。戦闘を行った40機の戦闘機のうち13機が撃墜、さらに3機をおそらく撃墜した。B−24 1機は機械的故障で、1機は被弾によりソ連領に不時着した。B−24 1機は対空砲火に撃墜された。損失はB−25 7機、B−24 2機、第11空軍にとって最も破滅的日となった。再び千島を攻撃できるまでに5ヶ月がかかることになる。
1944年2月
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- 〇第11空軍
- B−24 6機、P−38 16機は海軍機と合流、クラブ岬−武蔵湾地区の施設の艦砲射撃を行ったアメリカ軽巡、駆逐艦の退却を掩護した。その後、航空機は幌筵、占守の施設を攻撃、写真撮影した。
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- 2月24日
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- 〇第11空軍
- 爆撃機6機は千島の船舶探査、武装偵察のため発進。1機だけが目標に達し、見つけられた目標に爆弾を投棄した。
- 2月25日
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- 〇第11空軍
- セミヤのB−24 3機は写真偵察、爆撃のため25日夜中、松輪上空に達した。任務は天候のため完了できなかった。
1944年3月
- 3月16日
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- 〇第11空軍
- B−24 3機は松輪島の武装偵察のため16日未明セミヤを発進したが、早まって帰還した。爆撃機の何機かは目標上空で積荷を投棄した。
- 3月17日
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- 〇第11空軍
- B−24 3機はオンネコタンを武装偵察。密雲を通して爆弾を投下した。
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- 3月24日
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- 〇第11空軍
- B−24 3機はオンネコタン写真任務。
- 3月25日
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- 〇第11空軍
- セミヤのB−24 2機はクラブ岬、オンネコタンを爆撃。
- 10月14日
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- 〇第11空軍
- B−25 4機は乙前湾の建物を銃爆撃。
1944年4月
- 鐚疲怦鐚呎律
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- 〇第11空軍
- 松輪上空の天候飛行は低雲と霧のため成果なし。
- 4月10日
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- 〇第11空軍
- B−24 3機は松輪、オンネコタンを武装偵察。
- 4月11日
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- 〇第11空軍
- 松輪島施設の撮影、爆撃を試みたB−24 3機のうち2機は帰還。3番目は滑走路を爆撃した。
- 4月13日
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- 〇第11空軍
- B−24 3機は松輪島飛行場、オンネコタン島施設を武装偵察、爆撃した。
- 4月14日
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- 〇第11空軍
- B−24 3機は松輪、オンネコタン、幌筵の早朝武装写真偵察。撮影された写真は雲のため成果なし。
- 4月18日
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- 〇第11空軍
- B−24 3機は松輪、オンネコタン、幌筵の武装写真偵察。雲と月明かりの不足は柏原飛行場とバンジョウ岬の爆撃のみが可能だった。
- 4月23日
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- 〇第11空軍
- B−24 3機は千島の100マイル内で天候偵察、写真偵察飛行。松輪島を撮影。
- 4月24日
- 〇第11空軍
- B−24 1機は松輪島で写真航、爆撃航。後に、もう1機がシャスコタン、エカルマ、カリムコタン、オンネコタンを天候観測、爆撃した。
- 4月25日
- 〇第11空軍
- B−24 3機は松輪島を写真撮影、爆撃。
1944年5月
- 5月12日
- 〇第11空軍
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B−24 1機はタガン岬の飛行場、松輪の施設を偵察、爆撃。会合に失敗し海軍機動部隊掩護飛行を中止したB−24 6機のうち、2機はオンネコタンの施設を爆撃。
- 5月18日
- 〇第11空軍
- 千島上空で、天候偵察中のB−24 1機は日本機に撃たれ、B−25 2機は特設艦船を沈没させ、もう1隻は別のB−25 2機により夜中に沈没した。
- 5月19日
- 〇第11空軍
- B−24 1機占守、Ketoi 島の武装偵察。
- 5月22日
- 〇第11空軍
- 幌筵附近船舶攻撃中のアッツのB−25 2機は哨戒艇を銃爆撃、撃沈した。
- 5月24日
- 〇第11空軍
- B−24 2機は占守、松輪を天候偵察、写真偵察。松輪地区を爆撃。
- 5月25日
- 〇第11空軍
- セミヤのB−24 1機は中千島偵察、爆撃任務。
- 5月27日
- 〇第11空軍
- B−24 2機はUshishiru 島の武装偵察、写真撮影。
- 5月28日
- 〇第11空軍
- B−24 2機は占守、松輪で爆弾投下。
- 5月29日
- 〇第11空軍
- 日没後、B−25 2機は占守、松輪を写真偵察、爆撃。
- 午後早く、P−38 4機に護衛されたB−25 2機は千島で哨戒艇を銃爆撃、撃沈。
- 他にB−25 4機は占守沖で船舶2隻を攻撃、成果なし。
1944年6月
- 鐚匁怦鐚呈律
- 〇第11空軍
- B−24 2機は占守が雲に包まれていたのを確認、松輪を写真撮影、爆撃。
- 鐚匁怦鐚疲律
- 〇第11空軍
- B−24 2機は占守偵察。燃料欠乏と装備ミスは第二目標松輪への飛行を妨げた。
- 6月14日
- 〇第11空軍
- B−24 4機は中千島、北千島の広域写真偵察。20機の戦闘機に攻撃され、うち3機を損傷させた。
- 6月15日
- 〇第20空軍
- B−29日本爆撃。千島に対する第11空軍の空襲を除いて、ドーリットル空襲以来初めての航空攻撃。成都作戦中のB−29 47機は第一目標八幡製鐵所を爆撃した。戦闘機が中国のNeihsiang 飛行場にエンジントラブルで降りたB−29を破壊し、爆撃任務で第20空軍のはじめての戦闘損失となった。
- 〇第11空軍
- B−24 2機は占守で武装写真偵察。
- 6月17日
- 〇第11空軍
- B−25 12機はクラブ岬施設を砲撃後、撤退中の海軍任務部隊の掩護を飛行。
- 6月19日
- 〇第11空軍
- B−24 2機は幌筵武装写真偵察、擂鉢地区を爆撃。結果観測せず。
- 6月24日
- 〇第11空軍
- B−24 3機はクラブ岬の飛行場の北を日没爆撃。
- 6月25日
- 〇第11空軍
- B−24 2機はクラブ岬飛行場を爆撃。
- 6月26日
- 〇第11空軍
- B−25 12機はクラブ岬施設を砲撃後、撤退中の海軍任務部隊の掩護を飛行。
U.S. Army Air Forces in World War II
Combat Chronology 1941 -- 1945
Compiled by Kit C. Carter and Robert Mueller
Center for Air Force History
Washington, DC 1991
Library of Congress Catalog Card No. 75-600031
Reprint of 1973 edition, 1991
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