第二時大戦に於けるアメリカ陸軍航空軍戦闘日誌
(対本土作戦のみ)
1945年 2月
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- 〇第7空軍
- グアム駐屯のB−24 21機は午後硫黄島を攻撃、さらに10機2日にかけ重爆単機うろつき攻撃。
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- 〇第7空軍
- グアム駐屯B−24 20機は硫黄島貯蔵施設を爆砕。
- 3日にかけB−24 10機が単機いやがらせ攻撃で、飛行場群を爆撃。
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- 〇第7空軍
- サイパン駐屯B−24 9機は父島を攻撃。
- 4日にかけB−24 10機は硫黄島を単機いやがらせ攻撃。
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- アメリカ−イギリス−ソ連がヤルタ会談。ソ連の対日参戦、対ドイツ方針、ポーランド問題、国際連合設立等が話し合われた。
- 〇第20空軍
- 第21爆撃機集団は初めて対日本本土攻撃に2個航空団(第73、第313航空団)の超重爆を投入。B−29 69機は神戸市街地を空襲。
- 松坂を攻撃した15機を含む30機は他の臨機目標を攻撃した。約200機の戦闘機が迎撃、B−29 1機を撃墜、35機に損傷を与えた。1機がサイパン着陸中墜落。B−29は敵戦闘機4機の撃墜、20機の恐らく破壊、39機の撃破を主張した。。
- 〇第7空軍
- グアムのB−24 9機は硫黄島対空陣地を爆撃、10機は沖村(母島)市街を攻撃。
- 5日にかけグアムのB−24 8機は硫黄島の飛行場を単機攻撃。
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- 〇第7空軍
- サイパンのB−24 21機は硫黄島北端の露営地、防衛施設、防空陣地を爆撃。
- 6日にかけ硫黄島の飛行場はサイパンのB−24 10機の個別うろつき攻撃で粉砕。
- 〇第11空軍
- B−24 5機は密雲を通して片岡を爆撃。B−25による船舶掃蕩は天候のため中止。
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- 〇第7空軍
- グアム駐屯B−24 9機は硫黄島の無線・レーダー施設、対空陣地を攻撃。
- B−24 10機は弟島、大村市街(父島)を爆撃。
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- 〇第7空軍
- サイパンのB−24 6機は沖村市街を爆撃。
- B−24 8機は硫黄島の無線・レーダー施設、対空陣地を攻撃。
- 8日にかけB−24 9機はサイパンからうろつき攻撃、硫黄島飛行場を爆撃。
- 〇第11空軍
- 片岡攻撃のB−24 6機は爆撃行前に全機爆弾をを緊急投下、任務中止。
- B−25 4機は天候中止。
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- 〇第7空軍
- グアムのB−24 20機は午後硫黄島の対空防衛、無線・レーダー施設を爆撃。
- 9日にかけ10機は島の飛行場に対し単機うろつき攻撃。
- 〇第11空軍
- B−25 4機は目標を確認できなかったためMasugawa R への任務を中止。
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- ヤルタ会議終了。会議は7月1日ころに予測される、ドイツ敗北後の対日進攻について合意。ソ連は対日参戦と引き換えに満州の大部を得ることに。
- 〇第7空軍
- グアム、サイパンのB−24 22機は硫黄島の無線・レーダー施設、防衛陣地、飛行場を爆撃。
- 10日にかけサイパンのB−24 11機は飛行場、対空陣地を分離攻撃。
- 2月10日
- 〇第20空軍
- マリアナのB−29 84機は中島飛行機太田製作所を攻撃。B−29 12機を喪失。21機が損傷した。
- 〇第7空軍
- グアムのB−24 10機は沖村を爆撃。P−38 6機は硫黄島上空掩護写真撮影任務と戦闘機掃蕩任務を飛行。
- グアムのB−24 17機はP−38の護衛で午後遅く硫黄島を粉砕。
- 11日にかけ9機が単機いやがらせ攻撃。
- 2月11日
- 〇第7空軍
- サイパンのB−24 21機は2個部隊に分かれ、硫黄島の飛行場、陣地を爆撃。
- 12日にかけサイパンのB−24 10機が硫黄島に個別いやがらせ攻撃。
- 〇第11空軍
- 海軍機動部隊の航空掩護のB−24 7機のうち3機だけが目標に達した。
- 2月12日
- 〇第20空軍
- B−29 8機は北緯30度00分、東経135度00分−148度00分間の海軍支援のための偵察任務を完了。
- マリアナのB−29 21機は2月19日の上陸作戦に先だって、硫黄島の重対空砲を爆撃。
- 〇第7空軍
- グアム駐屯B−24 9機は父島海軍基地を、19機は硫黄島の飛行場、陣地を爆撃。洲崎飛行場に昼間攻撃。
- 13日にかけグアム駐屯B−24 8機は硫黄島、父島に対し単機いやがらせ攻撃。
- 〇第11空軍
- B−25は天候のため海軍掩護任務を中止。
- 2月13日
- 第7空軍
- サイパンからのB−24 25機は硫黄島へ2攻撃、10機は母島を攻撃。
- 14日にかけB−24 5機が8時間間隔で硫黄島を個別いやがらせ攻撃。
- 2月14日
- 〇第7空軍
- グアムのB−24 17機は昼間硫黄島の陣地、無線・レーダー施設を粉砕。
- 15日にかけB−24 5機は単機うろつき任務を飛行、硫黄島飛行場、対空陣地を爆撃、4機は個別に洲崎飛行場を攻撃。
- 〇第11空軍
- B−24 3機は擂鉢飛行場を爆撃。
- 2月15日
- 〇第20空軍
- マリアナ駐屯B−29 33機は名古屋の三菱重工発動機製作所を爆撃。
- 他に70機が臨機目標を攻撃、内54機が浜松を爆撃。
- 〇第7空軍
- サイパンのB−24 24機は2隊に分かれ、硫黄島飛行場、対空陣地を爆撃。
- 他に12機が父島の飛行場を攻撃。
洲崎飛行場を爆撃。
- B−24 5機は硫黄島、父島に対して夜間いやがらせ攻撃。
- 2月16日
- 〇第7空軍
- 硫黄島に向ったB−24 42機は目標が全面的に雲に覆われていた為、召還された。
- 17日にかけグアムのB−24 4機は洲崎飛行場を単機攻撃。
- 2月17日
- 〇第7空軍
- 18日にかけサイパンのB−24 5機が父島に対して個別うろつき攻撃。
- 〇第11空軍
- B−25 4機は幌筵に向う海軍機動部隊を航空掩護。
- 2月18日
- 〇第7空軍
- 硫黄島に派遣されたグアムのB−24 36機は目標が完全に雲に覆われていた為召還。洲崎飛行場を粉砕。1機は母島を攻撃。
- 19日にかけグアムのB−24 9機が父島を個別攻撃。
- 〇第11空軍
- B−24 7機はKurabu崎に向う海軍部隊を航空掩護。
- 2月19日
- 〇第7空軍
- サイパンのB−24 44機は硫黄島に送られた。14機は9時アメリカ第4、第5海兵師団部隊が南西部に上陸する1時間前に陣地、露営地、貯蔵地域を爆撃。残りの30機は密雲、機械トラブル、目標上空に達するのが遅すぎた為攻撃を中止した。
- 20日にかけサイパンのB−24 8機は父島を個別喧騒攻撃。
- 〇第11空軍
- B−24 6機は占守島を写真偵察、Kurabu崎飛行場を爆撃。敵戦闘機6機が迎撃、B−24は4機の撃破を主張。
- B−25 4機はHayakegawa 沿いの目標攻撃任務を天候中止。
- 2月20日
- 〇第7空軍
- 21日にかけB−24 7機は父島の飛行場、沖村市街を攻撃。
- 2月21日
- 〇第7空軍
- 22日にかけグアムのB−24 6機は父島に単機うろつき攻撃。
- 2月22日
- 〇第7空軍
- 23日にかけB−24 6機は洲崎飛行場、沖村市街を各個いやがらせ空襲。
- 2月23日
- 〇第7空軍
- 24日にかけグアムのB−24 7機は父島の飛行場と母島の沖村市街をうろつき攻撃。
- 海兵隊は硫黄島の擂鉢山に合州国国旗を掲揚。
- 2月24日
- 〇第7空軍
- 25日にかけグアムのB−24 5機は父島の飛行場と沖村市街に個別うろつき攻撃を飛行。
- 〇第11空軍
- 船舶掃蕩のB−25 4機はHayakegawaを攻撃。帰路B−25日本の風船爆弾を確認、写真撮影。
- 2月25日
- 〇第20空軍
- 太平洋地域陸軍航空軍司令兼第20空軍副司令Gen Millard F Harmonはワシントンに向う途中、クエゼリン附近で機体行方不明。(3月2日太平洋地域陸軍航空軍作戦副部長Gen Haleが職責継承)
- B−29 172機は東京市街地を爆撃。約30機が代替、臨機目標を攻撃第21爆撃機集団の過去最大の任務であり、第73、第313航空団が第314航空団と合同した初めての対日3個航空団攻撃。
- 〇第7空軍
- グアムのB−24 9機は硫黄島北西部のトーチカ、迫撃砲・ロケット砲陣地を爆撃。
- 26日にかけグアムのB−24 8機は個別いやがらせ攻撃で父島の飛行場を攻撃。
- 2月27日
- 〇第20空軍
- 第58航空団人員はカルカッタからテニアン・グアムへ向け移動開始。インドを撤収した最終部隊がマリアナに到着し、犠牲者損失機なしに移動を完了したのは6月6日。
- 〇第7空軍
- グアムからのB−24 9機は硫黄島北方のトーチカ、砲座、要塞、迫撃砲陣地を爆砕した。
- 28日にかけB−24 9機はうろつき攻撃、大村(父島)市街、飛行場、無線局を爆撃。
- 2月28日
- 〇第7空軍
- グアムのB−24 8機は洲崎飛行場を粉砕。硫黄島のP−51 15機は父島の飛行場を攻撃。
- 3月1日にかけグアムのB−24 6機は単機いやがらせ飛行、洲崎飛行場を再爆撃。
U.S. Army Air Forces in World War II
Combat Chronology 1941 -- 1945
Compiled by Kit C. Carter and Robert Mueller
Center for Air Force History
Washington, DC 1991
Library of Congress Catalog Card No. 75-600031
Reprint of 1973 edition, 1991
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