羂丞錐 | 国籍 | 所属・階級 | 死亡月日 | 死因 |
---|---|---|---|---|
WIJNSTOK, Rijk Henricus | 蘭 | BER.SLD,2eKL.GI | 1945.08.01 | 爆死 |
MEGENS, Mourits Johan Louis | 蘭 | MIL.LeKL.SLD.ART | 1945.08.09 | 圧死 |
GROEN, Aric | 蘭 | LST.SLD. | 1945.08.09 | 圧死 |
HOLTHAUSEN, Jacob Don | 蘭 | M.SLD.INF | 1945.08.09 | 圧死 |
SHAW, Ronald Francis | 英 | CPL. | 1945.08.09 | 圧死 |
AALDERS, C.H.H. | 蘭 | 1945.08.14 | 頭蓋骨骨底骨折 | |
BEER, J.H.F. | 蘭 | 1945.08.17 | 背面、顔面火傷 | |
JOSEPE, M.B. | 蘭 | 1945.08.22 | 全身火傷 |
福岡俘虜収容所第十四分所は、1943年4月22日長崎市幸町にあった國光紡績株式会社長崎工場跡地(現長崎県営バス車庫)三菱重工長崎造船所に設置され、オランダ、イギリス、オーストラリア国籍者約200名を収容していた。同造船所は1945年8月1日沖縄を発した極東空軍のB24・B25爆撃機による空襲を受け、投じられた爆弾が捕虜が避難していた構内防空壕を直撃、捕虜一名と日本人警備員一名が圧死したほか、捕虜6名も負傷した。
8月9日午前11時2分爆心地から1650メートル離れた場所にあった同分所は、全施設が爆風により倒壊し4名が即死した。さらに救助後に死者3名、連合軍への引渡し後および帰国途中にも2名が死亡したとされる。本国帰還後の被曝死に関しては不明。
本収容所は開設以来約100名の捕虜死亡者を出したものの、横浜BC級裁判には訴追されなかった。
Source:外務省外交史料館・連合国軍俘虜被抑留者関係一件
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