第二時大戦に於けるアメリカ陸軍航空軍戦闘日誌
(対本土作戦のみ)
1944年12月
- 12月1日
- 〇第7空軍
- グアムのB−24 26機は硫黄島の飛行場を襲う。
- 2日にかけB−24単機が硫黄島をうろつき−snooper−任務で爆撃。
- 12月2日
- 〇第7空軍
- グアム駐屯B−24 23機は硫黄島を爆撃。
- 3日にかけB−24 3機がグアム、サイパンから硫黄島の飛行場をうろつき爆撃。
- 12月3日
- 〇第20空軍
- マリアナ駐屯第21爆撃機集団のB−29約70機は東京の市街、港湾と武蔵製作所を爆撃。6機を損失。
- 〇第7空軍
- グアムのB−24 17機は硫黄島を爆撃。ボニン、カザン諸島上空写真偵察を掩護中の7機は、母島、硫黄島を爆撃。
- 4日にかけマリアナのB−24はうろつき任務で硫黄島への爆撃を継続。
- 12月4日
- 〇第7空軍
- 5日にかけマリアナのB−24 2機はうろつき任務で硫黄島を爆撃。
- 〇第11空軍
- 天候偵察機は発進直後に中止。
- 12月5日
- 〇第11空軍
- カクマベツ攻撃に発進したB−24 6機は天候のため中止。
- B−25は船舶掃蕩を取りやめ。
- 12月6日
- 〇第11空軍
- B−24 4機は擂鉢飛行場を爆撃、滑走路に命中弾、砲台を爆破。帰路、1機が対空射撃に撃たれた。
- B−25 1機は船舶探査に失敗。
- 天候偵察B−24 1機はソ連領に不時着陸。
- 12月7日
- 〇第11空軍
- 爆撃機9機は船舶探査を飛行。
- 12月8日
- 〇第20空軍
- マリアナのB−29 60機以上はP−38、B−24、海軍巡洋艦と合同、マリアナのアメリカ空軍基地に対し日本が攻撃機を発進させていた硫黄島を攻撃。(日本軍機は11月2日、7日、27日、12月7日、25日−最大の攻撃で25機が参加−と12月25日日から1月2日にかけて少数機が飛行場を攻撃した。約80機が攻撃し、40機近くを撃墜した。B−29 11機を喪失、43機が損傷した)
- 〇第7空軍
- グアム・サイパンのB−24 89機はB−29、海軍艦艇と合同、硫黄島飛行場を砲爆撃。28機のP−38がB−24を掩護した。この攻撃はマリアナのアメリカ軍基地に対する空襲を減じさせるのに役だった。
- 12月9日
- 〇第7空軍
- サイパンのB−24 2機は10日にかけ硫黄島にいやがらせ攻撃。
- 12月10日
- 〇第7空軍
- サイパンのB−24 3機、グアムの1機は11日にかけ硫黄島をいやがらせ攻撃。
- 12月11日
- 〇第7空軍
- Lawrence J Carr becomes 大佐は第7戦闘機集団の指揮官に。
- グアムのB−24 28機は硫黄島の飛行場、弾薬貯蔵施設を粉砕。
- 12日にかけグアム、サイパンのB−24は夜間各個いやがらせ攻撃を継続、うろつき攻撃を飛行。
- 〇第11空軍
- 中爆4機は敵船舶探査を飛行。結果なし。
- 12月12日
- 〇第20空軍
- 第313爆撃団の支援群テニアンに到着。
- 〇第7空軍
- サイパンのB−24 24機は硫黄島を粉砕。
- 13日にかけサイパン・グアムのB−24は硫黄島に対しうろつき攻撃。
- 〇第11空軍
- 悪天候のため気象観測機任務中止。
- 12月13日
- 〇第20空軍
- マリアナのB−29 70機以上は名古屋の三菱重工発動機製作所を爆撃、爆撃精度は向上し、かなりの損害を与えた。
- 〇第7空軍
- 第7空軍司令部はSea Flasherで人員、Cape Catocheに装備を乗船させ、海路タナパクに到着。司令部の残りは14日から19日にかけ空路到着
- グアムのB−24 15機は硫黄島を爆撃。
- 14日にかけグアムとサイパンのB−24 6機は硫黄島に各個いやがらせ空襲。
- 〇第11空軍
- 中爆4機は船舶探査を天候中止。
- 12月14日
- 〇第7空軍
- サイパンからのB−24 24機は硫黄島を襲う。
- 15日にかけグアム・サイパンのB−24 6機は硫黄島を各個うろつき攻撃。
- 12月15日
- 〇第7空軍
- グアムのB−24 13機は硫黄島を爆撃。
- グアムのB−24 1機は16日にかけ硫黄島をうろつき攻撃。
- 12月16日
- 〇第7空軍
- 17日にかけてグアム・サイパンのB−24 3機が硫黄島に各個うろつき攻撃。
- 12月17日
- 〇第7空軍
- サイパンのB−24 24機、グアムのB−24 26機は硫黄島を粉砕。
- グアム、サイパンのB−24 3機は18日にかけ硫黄島を各個いやがらせ攻撃。
- 12月18日
- 〇第20空軍
- マリアナのB−29 63機は名古屋の三菱重工航空機工場を攻撃。10機は臨機目標を攻撃。
- 〇第7空軍
- 19日にかけグアム・サイパンのB−24 4機が硫黄島にうろつき攻撃。
- 12月19日
- 〇第20空軍
- 成都のB−29 17機は大村の航空廠を攻撃。13機が上海の第二目標を。2機が他の代替目標を攻撃。
- 〇第7空軍
- 第7空軍司令部はタナパクで正式発動。
- サイパンのB−24 27機、グアムのB−24 25機は硫黄島を攻撃。
- サイパンのP−38 14機は航法支援のB−29 3機と共に硫黄島の飛行場を機銃掃射。
- 20日にかけサイパン・グアムのB−25 4機は硫黄島にうろつき攻撃。
- 12月20日
- 〇第7空軍
- サイパンのB−24 23機は硫黄島を粉砕。
- 21日にかけグアム・サイパンのB−24 6機が5波にわたって硫黄島を攻撃。
- 〇第11空軍
- B−24 1機は千島上空武装偵察。
- B−24 1機はオンネコタンの施設を攻撃、2機は柏原、片岡上空を武装偵察、オンネコタンの建物を銃撃、ネモ湾を爆撃。
- B−25 4機は天候のため戦闘機おとり飛行任務を中止。
- 12月21日
- 〇第7空軍
- グアムのB−24 23機は硫黄島を攻撃。
- 22日にかけマリアナのB−24 4機は硫黄島に3波のいやがらせ攻撃。
- 12月22日
- 〇第20空軍
- 第21爆撃機集団の48機は三菱航空機産業複合体を攻撃。密雲に邪魔され、損害は軽度。B−29は戦闘機9機の撃墜を主張。
- 〇第7空軍
- 23日にかけサイパン・グアムのB−24 2機は硫黄島にいやがらせ攻撃。
- 12月23日
- 〇第7空軍
- サイパンのB−24 12機、グアムの14機は硫黄島を攻撃。
- 夜間、さいぱん・グアムのB−24 2機は硫黄島をいやがらせ攻撃。
- 〇第11空軍
- 天候観測はスコールに会い、中止。
- 12月24日
- 〇第20空軍
- 第21爆撃機集団のB−29 23機は硫黄島の二つの飛行場を爆撃。
- 〇第7空軍
- サイパンのB−24 12機、グアムの38機は硫黄島を攻撃。
- サイパンのP−38 17機は硫黄島へ低空機銃掃射。
- サイパンのB−24 23機は父島を爆撃。
- 25日にかけマリアナのB−24 2機は硫黄島にいやがらせ攻撃。
- 12月25日
- 〇第7空軍
- サイパンのB−24 12機は硫黄島を爆撃。
- 26日にかけグアム・サイパンのB−24は硫黄島への夜間攻撃を継続。
- 12月26日
- 〇第7空軍
- グアムのB−24 13機は硫黄島を爆撃。
- 27日にかけマリアナのB−24 2機は硫黄島を攻撃。
- 12月27日
- 〇第20空軍
- John H Davies大佐指揮の第313爆撃団のB−29、乗員はテニアンに到着開始、第21爆撃機集団の2番目の作戦航空団として、第73爆撃団と合同。
- マリアナのB−29 39機は東京の中島飛行機武蔵製作所を爆撃。13機は代替臨機目標を攻撃。敵戦闘機は活発で、超重爆に各個250回以上の攻撃を実施。B−29は21機の撃墜を主張。B−29 3機を喪失。1機は戦闘機、2機は機械故障による。
- 〇第7空軍
- サイパンのB−24 13機は硫黄島を、21機は父島を爆撃。
- グアムの35機も硫黄島を粉砕、P−38は島を機銃掃射。
- 28日にかけB−24 2機も島をうろつき攻撃。
- 12月28日
- 〇第7空軍
- サイパンのB−24 13機は硫黄島を爆撃。
- 29日にかけグアム・サイパンの重爆は2波の単機攻撃。
- 12月29日
- 〇第7空軍
- グアムのB−24 26機は硫黄島を爆碎。
- 30日にかけB−24 9機は6時間間隔で硫黄島を再爆撃。
- 〇第11空軍
- B−25 3機は天候のため戦闘機おとり任務を中止、帰途2機は行方不明。
- B−24 1機は片岡を爆撃。
- 12月30日
- 〇第7空軍
- サイパンのB−24 14機は硫黄島を爆撃。
- 31日にかけグアムから単機行動のB−24 9機はほぼ7時間にわたって硫黄島の飛行場に対し再攻撃。
- 12月31日
- 〇第7空軍
- グアムのB−24 19機は昼間硫黄島の飛行場を爆撃。
- 1月1日にかけB−24 10機は6時間にわたり島を単機いやがらせ攻撃。
U.S. Army Air Forces in World War II
Combat Chronology 1941 -- 1945
Compiled by Kit C. Carter and Robert Mueller
Center for Air Force History
Washington, DC 1991
Library of Congress Catalog Card No. 75-600031
Reprint of 1973 edition, 1991
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