1945年8月15日以降、ポツダム宣言にもとづいて多くの人々(旧植民地出身者を含む)が戦争犯罪人として、連合軍に拘束されました。A級戦犯が政府指導者だったのに対し、BC級戦争犯罪人とされた人々の多くは、庶民であり、戦争と言う国家行為の責任を個人として負わねばなりませんでした。唯一国内で開廷されたアメリカ第八軍軍事法廷、いわゆる横浜裁判では主に国内の俘虜収容所関係者、アメリカ兵殺害事件が裁かれ、多くの人々が刑に処せられました。
いくつかの場合では全くの人違いや、習慣的相違にもかかわらず、厳しい判決が加えられました。それは勝者による報復ともいうべきものでした。以下は戦後も継続された、もう一つの戦争の実態です。
日本国はサンフランシスコ講和條約において、東京国際軍事法廷およびその他の裁判の結果を受諾しています。しかしながら、現在も元戦犯者およびその遺家族に対する見解は様々です。資料の利用に関しては十二分のご配慮をお願い申上げます。*階級は在職中のものではなく、復員時のものを使用しました。