第二時大戦に於けるアメリカ陸軍航空軍戦闘日誌
(対本土作戦のみ)
1945年 8月
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- 〇極東空軍
- B−24約50機は長崎造船所、港湾地域の目標を爆撃。
- 長崎地域でB−25と戦闘爆撃機は造船所、操車場、船舶を攻撃。
- B−24はKoniya飛行場、加計呂麻島を攻撃。
- P−47約80機は川内の鉄橋とその他の鉄道目標を攻撃。
- 硫黄島を発したP−47も最初の作戦に参加、第7戦闘機集団のP−51とともに南日本を掃蕩。貨物、飛行場が岡崎、伊丹、名古屋地域で攻撃された。
- 〇第20空軍
- B−29 627機は八王子市、富山市、長岡市、水戸市を焼爆。
- B−29 120機は川崎石油施設を爆撃。
- B−29 37機は関門海峡、中海、浜田、境、米子、羅津、清津に機雷敷設。
- 合計784機のB−29(出撃は836機)の目標爆撃は、単独日として第20空軍による第二次大戦最大。
- 〇第7戦闘機集団
- 硫黄島駐屯P−51約30機は大阪??名古屋地域の飛行場とその他の目標を攻撃。悪天候が多くの戦闘機が目標に達するのを妨げた。
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- 〇極東空軍
- 沖縄からの極東空軍の全作戦は悪天候でキャンセル。
- 〇第20空軍
- トワイニン少将は第20空軍司令官となる。ルメイ少将は陸軍戦略空軍参謀長に就任。
- 〇第11空軍
- B−24 6機は国端岬をレーダー爆撃。片岡を目視爆撃。
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- 〇第7戦闘機集団
- 硫黄島の戦闘機は東京地域に約100ソーティーし、飛行場、鉄道施設、列車を攻撃。
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- 〇極東空軍
- 九州上空のB−25は高鍋附近産業地区を攻撃、倉庫、工場、鉄橋、操車場を爆撃。
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- 〇極東空軍
- B−24、B−25、A−26、P−47、P−51約330機は垂水市街、九州の産業地域、九州、琉球の多くの臨機目標を粉砕。
- 〇第20空軍
- B−29約470機は佐賀市、前橋市、今治市、西宮??御影を焼夷攻撃。
- B−29 106機は宇部の液化石油会社を爆撃。
- B−29 27機は境、米子、中海、宮津、舞鶴、敦賀、小浜、羅津、Geijitsu地区に機雷敷設。
- 〇第7戦闘機集団
- 第7戦闘機集団は第20空軍に正式に所属。
- P−51約100機は東京周辺の飛行場、軍事施設を攻撃、香取飛行場で特に効果的な攻撃を記録。
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- 〇極東空軍
- P−47、A−26約150機は第一目標都城を攻撃するために悪天候を飛行。
- B−24、B−25、P−47約170機は第二目標鹿児島を攻撃。
- B−25、P−51約60機は対馬海峡、北琉球の船舶、地上臨機目標を攻撃。
- 九州??朝鮮間を行動するP−51は済州島の飛行場、臨機目標を銃爆撃。
- P−47は種子島を爆撃。
- その他南朝鮮、瀬戸内海、南本州、西四国、北琉球、上海地域を単機あるいは編隊で攻撃。
- 〇第20空軍
- 世界初の原子爆弾攻撃。0245ポール W チベッツ大佐操縦のB−29エノラゲイはテニアン島ノースフィールドを離陸。2分間隔で、チャールズ W スィニー少佐のグレートアーチスト、ジョージ W マルカード大尉のNo.91のB−29観測機2機が後続。0915(日本時間0816)原子爆弾は31600フィートから広島に投下された。爆発は50秒後。市の80パーセント以上の建築物は破壊され、71000人以上(日本側判断:アメリカ側は70000から80000と推定)が死亡した。エノラゲイは1458テニアン島に着陸、観測機2機は1時間内に続いた。
- 〇第7戦闘機集団
- 硫黄島の約100機は東京周辺の飛行場、軍事施設6個所を攻撃。
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- 〇極東空軍
- P−47は九州の目標に出撃した第20空軍のB−29を護衛。
- B−24、A−26は築城飛行場を粉砕。
- 他のB−24は大村に火災を生じさせた。
- B−25は松橋、川尻の橋梁とその他の目標を攻撃、釜山沖の船団を爆撃。
- その他のB−25は知覧飛行場、出水飛行場を攻撃。
- 戦闘爆撃機は九州全域の通信、輸送施設を攻撃、重大な損害を与えた。
- B−24は高野飛行場を爆撃。
- 〇第20空軍
- 第7戦闘機集団戦闘機に護衛されたB−29 124機は豊川海軍工廠を爆撃。
- B−29 29機は関門海峡、宮津、舞鶴、敦賀、小浜、羅津に機雷敷設。
- 極東空軍P−47は護衛を担任。
- 〇第7戦闘機集団
- 爆撃任務のB−29を護衛後、P−51はMagarimatsu、調布、厚木、相模附近の鉄道目標、船舶を攻撃。
- 〇第11空軍
- B−24 5機は片岡飛行場を爆撃。対空砲火はB−24 2機を損傷させた。
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- 〇ソビエト連邦対日参戦。
- 〇極東空軍
- 沖縄駐屯のB−24、B−25、A−26、P−51、P−47は九州の目標に対し多くの攻撃を実施。目標には宇佐、築城の飛行場、九州全域の通信輸送施設、九州‐朝鮮間の船舶、琉球、中国沿岸、台湾の臨機目標を含む。
- B−29を護衛したP−47は日本軍機10機撃墜を主張。
- 〇第20空軍
- 正午直前、221機のB−29は八幡市に焼夷弾を投下。午後遅く、約60機の超重爆撃機は東京の航空機工場、兵器廠群を爆撃。他に91機が福山を焼夷攻撃。
- 〇第7戦闘機集団
- 硫黄島の戦闘機約100機は大阪地域の鉄道施設、飛行場、工場、兵舎を攻撃。
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- 〇ソビエト軍満州に侵攻。
- 〇極東空軍
- 九州上空のB−25は鹿屋飛行場、野間市、別府湾の船舶、Tsuruaskiの橋梁、工場、石油貯蔵、対馬海峡の船舶、漁村、通信目標を爆撃。
- A−26とA−20は鹿屋飛行場、串木野、湊、島平の産業施設を攻撃。
- 西本州行動のB−24は岩国飛行場を爆撃。
- 200機以上のP−47、P−51は貯蔵施設、自動車、船舶、橋梁、港湾施設、兵舎、飛行場を含む、琉球、九州、四国の多数の目標を攻撃した。
- B−24は松山の軍事貯蔵施設を爆撃。
- 〇第20空軍
- 第二次大戦で2回目、最後の原子爆弾が日本に投下された。チャールズ W スィニー操縦のB−29 ボックスカーは0230テニアン島ノースフィールドを離陸。フレドリック C ボック大尉(任務のためスィニーと機体を交換した)操縦のグレートアーティスト、ジェイムス I ホプキンス少佐(他の2機のB−29とコンタクトを失った)の超重爆が観測機として後に続いた。第一目標小倉は悪天候が観測された。攻撃は第二目標長崎になされた。1158(長崎時間1058)高度28900フィートから投下された爆弾は、投下約1分後炸裂した。日本の報告は24000人近くが死亡したと申し述べた。アメリカ側は約35000人と見積もった。攻撃しB−29は沖縄で給油、2339テニアンに帰投した。
- B−29 95機は尼崎の日本石油製油所を爆撃した。
- 8月10日
- 〇極東空軍
- B−24 80機、中爆118機、約229機のP−47とP−38は熊本地区を粉砕。
- B−24約20機は大分地区を爆撃。
- 39機のP−51が二つの目標上で護衛。
- 40機近いB−25は九州‐朝鮮間で駆逐艦、貨物船、小型船を攻撃。
- P−47は佐世保港を爆撃。
- P−51は本州、九州の種々の臨機目標を攻撃。
- B−25は北琉球の臨機目標を爆撃。
- 〇第20空軍
- B−29 70機は東京の造兵廠を爆撃。
- 第7戦闘機集団は護衛にあたった。
- 31機の超重爆は関門海峡、中海、境、米子、元山に機雷敷設。
- 8月11日
- 〇極東空軍
- 沖縄駐屯B−24、B−25、A−26、A−20と戦闘機は約530ソーティーし、対馬、瀬戸内海の船舶、沿岸施設、九州全域の通信、輸送、その他の目標を破壊。
- 8月12日
- 〇ソビエト軍は朝鮮に侵攻。
- 〇極東空軍
- 沖縄のB−24は松山飛行場を爆撃。
- B−25とA−26は知覧、鹿屋飛行場を攻撃。
- 他のA−26、A−20とP−47は串木野、阿久根、宮崎市街を攻撃。
- いくつかのB−25と戦闘爆撃機は九州、北琉球、日本‐朝鮮間の船舶、通信目標を攻撃。 航空機は数隻の商船の沈没と損傷、多数の橋、鉄道、工場、臨機目標の攻撃を主張。
- 〇第11空軍
- B−24 4機は片岡上空で目視、レーダー混用爆撃。3機はさらにスリバチ飛行場を爆撃、滑走路、建物を攻撃。B−24 1機はレーダー探査任務。
- 8月13日
- 〇極東空軍
- 沖縄のB−24とB−25は朝鮮、九州、瀬戸内海海域の船舶を粉砕、数隻の沈没と損害を主張。京城上空のP−47は敵機20機と遭遇、少なくとも16機を撃墜した。
- 〇第11空軍
- 第11空軍は最後の戦闘任務に、B−24 6機を派遣、柏原前進地区をレーダー爆撃。巨大な煙柱を上げた。
- 8月14日
- 〇極東空軍
- B−25、P−47、P−51は朝鮮、九州海域の船舶を攻撃。数隻の破壊と損傷を主張。
- 大阪‐名古屋地域上空のP−47は日本軍機数機の撃墜を主張。
- 〇第20空軍
- B−29 302機は光海軍工廠、大阪造兵廠、108機は満里布操車場を爆撃。
- 第7戦闘機集団は大阪上空の超重爆を護衛。
- B−29約160機は熊谷市、伊勢崎市を焼夷攻撃、132機は土崎港の日本石油会社(前進基地を使用しないマリアナからの最長、無着陸B−29爆撃任務??3650マイル)を爆撃。
- 他の39機は七尾、下関、宮津、浜田に機雷敷設。
- これらは最後のB−29対日戦闘任務だった。
- 最後のB−29が帰投する前に、トルーマン大統領は日本の無条件降伏を発表。ただちに第11空挺師団はフィリピンから沖縄に空輸され、日本の初期占領部隊として研究を開始。
- 〇第7戦闘機集団
- 大阪地区のB−29攻撃を護衛後、約160機(硫黄島の第7戦闘機集団所属)は日本本土に対する最後の戦闘機攻撃飛行、名古屋地域の飛行場と軍事施設を攻撃。
- 8月15日
- 〇マッカーサー大将は連合国軍最高司令官を通知された。
- 対日本全攻撃行動を終了。
- 8月21日
- 〇第11空軍
- B−24 2機はソビエトに占領された千島の写真撮影を雲に阻まれた。他の4機は天候のため幌筵、占守への写真任務を中止。
- 8月23日
- 〇第11空軍
- B−24 4機は幌筵、占守上空写真任務を飛行。
- 8月24日
- 〇第11空軍
- B−24はソビエト占領千島の写真撮影を試みるが雲に邪魔される。
- 8月27日
- 〇第20空軍
- B−29は日本、中国、朝鮮内の捕虜収容所、抑留所への医療品、食糧、衣料の供給を開始。最初の補給品投下(北京郊外Weihsien収容所)に続き、少なくとも1ヶ月間に900ソーティーの集中を見た。4470トンの供給品が154箇所の収容所の約63500人の捕虜に投下された。
- 8月28日
- 日本の公式占領が本土への先遣隊到着で始まった。第11空挺師団は厚木飛行場に、海兵隊は横須賀鎮守府に上陸。
- 8月30日
- 厚木飛行場に空輸された第11空挺師団と横須賀鎮守府に上陸した海兵隊は部隊の占領を開始。
U.S. Army Air Forces in World War II
Combat Chronology 1941 -- 1945
Compiled by Kit C. Carter and Robert Mueller
Center for Air Force History
Washington, DC 1991
Library of Congress Catalog Card No. 75-600031
Reprint of 1973 edition, 1991
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