第二時大戦に於けるアメリカ陸軍航空軍戦闘日誌

(対本土作戦のみ)

1944年8月

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〇第11空軍
B−25 2機による船舶掃蕩任務は天候のため中止され、気象観測任務に。

8月10日

〇第20空軍
11日にかけ2つの任務を飛行。成都のB−29 24機は長崎の市街を爆撃、3機は臨機目標を攻撃。B−29は戦闘機1機の撃墜を主張。B−29による初戦果。もう一つの任務は、南支那海を横断した初めての作戦で、B−29 31機がパレンバンの精油所を爆撃、8機はMoesi 川に機雷敷設、3機が第二目標、臨機目標を攻撃した。セイロンからスマトラへの初攻撃はこの戦争で最長の戦闘飛行(約3900マイル)である。
〇第7空軍
B−24はサイパンから初飛行し、硫黄島を爆碎。陸軍航空隊による島の中立化作戦の始まり。
〇第11空軍
船舶掃蕩中のB−25 4機は占守島東南東75マイルに2隻の哨戒艇を発見。1隻は沈没、もう1隻を損傷させた。

8月12日

〇第7空軍
サイパンのB−24は父島の船舶、水上機基地、飛行場を攻撃。
〇第11空軍
幌筵、占守のB−24 4機、F−7A 2機は擂鉢の建物、滑走路、東Banjo 水道の船舶を攻撃。敵戦闘機が戦闘を行う。B−24は3機撃墜、13機の撃破を記録。
B−25 6機は船舶掃蕩を行うも結果なし、占守島の写真を撮影。

8月13日

〇第11空軍
13日にかけセミヤを発したB−24 3機のうち1機は中止、2機は柏原を爆撃。
B−25 6機は北千島東部の船舶掃蕩。戦闘機1機を撃墜。

8月14日

〇第7空軍
第7空軍は機動戦術空軍として再編。第7爆撃機集団は第11、第30、第41、第494爆撃群。第7戦闘機集団は第15、第318戦闘機群と第8夜間戦闘機中隊で組織。最近4個支援群からなる第7航空支援地域集団が開隊。
サイパンのB−24は硫黄島を爆撃。

8月16日

〇第7空軍
サイパンのB−24は父島、パガン島を爆撃。

8月17日

〇第7空軍
サイパンのB−24は硫黄島を爆撃。

8月19日

〇第11空軍
気象観測任務、4機編隊の船舶掃蕩を飛行、結果なし。

8月20日

〇第20空軍
成都のB−29 61機八幡製鐵所を昼間爆撃、21日にかけさらに10機が続攻、5機が臨機目標を攻撃した。B−29 14機を喪失。1機は対空砲火、4機は戦闘機(1機は空対空爆撃、1機は体当たり)による。機銃手は17機の撃墜を主張。
〇第11空軍
B−25 4機は船舶掃蕩、結果なし。

8月23日

〇第7空軍
サイパンのB−24は硫黄島、ヤップ島を爆撃。

8月24日

〇第20空軍
Gen O'Donnellの第73爆撃団本部の先遣航空梯隊はマリアナに到着。地上梯隊は9月16日海路到着。

8月25日

〇第7空軍
サイパンのB−24は硫黄島の飛行場を攻撃。
〇第11空軍
B−24 1機はシャスコタン、オンネコタン、ハルムコタン上空の偵察飛行、正確な対空砲火の為投弾せず。

8月26日

〇第7空軍
サイパンのB−24は硫黄島を爆撃。
〇第11空軍
B−24 3機は早朝柏原を攻撃、数カ所に火災を生じさせた。
B−25 6機は北千島東部沿岸を銃爆撃、哨戒艇1隻を撃沈。迎撃機4機のうち1機とB−24 1機が撃たれた。
B−24 7機は燃料庫、小船、桟橋、港湾施設を含む大泊岬、柏原の目標を爆撃。
P−38 6機はアッツ島西の未確認機4機の迎撃を試みるも成功せず。

8月27日

〇第7空軍
サイパンのB−24は硫黄島を爆撃。
〇第11空軍
B−24 5機は柏原を2波にわたり爆撃、撮影。
北千島東沿岸の船舶掃蕩中のB−25 4機は哨戒艇を銃爆撃、1隻に損傷を与え、1隻を沈没するままにする。

8月28日

〇第20空軍
Gen Hansell は第21爆撃機集団指揮官に、Gen Norstad は第20空軍参謀長を引き継ぐ。
〇第7空軍
サイパンのB−24は昼間、夜間硫黄島を爆撃。

8月29日

〇第20空軍
Gen LeMay は第20爆撃機集団指揮官になる。
〇第7空軍
サイパンのB−24は夕方、硫黄島、パガン島を爆撃。


U.S. Army Air Forces in World War II
Combat Chronology 1941 -- 1945

Compiled by Kit C. Carter and Robert Mueller

Center for Air Force History
Washington, DC 1991
Library of Congress Catalog Card No. 75-600031

Reprint of 1973 edition, 1991



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