青森歩兵第五聯隊本部庁舎




所在地 青森市浪館近野陸上自衛隊青森駐屯地
現在名称 陸上自衛隊広報館
施工者 不明 
建築年 明治9年(1875年)9月

青森歩兵第五聯隊は、明治4年弘前町に置かれた東北鎮台第二十番大隊を母体とする。明治8年12月16日、弘前から歩兵第4聯隊第二大隊が青森に移動、明治9年4月、歩兵第五聯隊第一大隊として発足した。同11年5月1日聯隊編成となり、12年1月16日聯隊旗が授与された。日清日露の戦いに参加、明治35年には雪中行軍隊が八甲田山中で遭難する悲劇も生んだ。

戦前の第五聯隊営門
昭和9年9月18日発生した満州事変に際しては、11月18日本聯隊を主力とする第14混成旅団(鈴木美通少将)が派遣され、匪賊(あくまでも日本人から見た場合)討伐にあたった。

 太平洋戦争にあっては、関東軍指揮下にあり、昭和19年8月4日第14方面軍指揮下に転属、フィリピン・ルソン島に渡った。同年12月9日レイテ島へ輸送船4隻で向かうも、2隻をアメリカ軍に沈められ、ほとんど非武装の状態で、同島にたどり着いた。さらに同月21日までの戦闘で兵力の3分の2を喪失、聯隊長高階於兔雄大佐は島中央のカンキポット山に立てこもったが、5月26日最終兵力30人となり、隊員各自下山を命令。以後の消息を絶った。

 


なお、終戦当時には電信第四聯隊補充隊庁舎として使用されていた。(本隊は朝鮮(現・韓国大田に駐屯)
戦後は、占領軍宿舎、県立青森高校教員宿舎として使用されていたが、数度にわたる火災のため、本棟だけが残った。当初13スパンあった兵舎を7スパンに切り詰めて、昭和43年11月現在地に復元・移築、陸上自衛隊広報資料館として利用されている。下北半島尻屋埼灯台(明治9年点灯)と並んで本県最古の現存洋風建築である。

内部平面図(青森県の近代化遺産・県教育委員会より)


展示室内部



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