帝国海軍最後の海空戦・大湊空襲


 1945年(昭和20年)8月9日イギリス太平洋艦隊を加え、航空母艦・軽空母合わせて19隻となったアメリカ第38機動部隊は、7月14‐15日に続いて2度目となる本州北部空襲を開始しました。この日大湊港には津軽海峡への対潜水艦用機雷源を敷設するために敷設艦常盤、特設敷設艦高栄丸を主力とする機雷敷設部隊が停泊していました。1899年(明治32年)イギリスアームストロング・ホイットワース社により建造された常磐は、日露戦争では上村彦之丞中将率いる第二艦隊に所属、日本海海戦に参加、第一次世界大戦では青島作戦に従事するなど、当時の帝国海軍現役最古参艦でした。
 機雷敷設部隊を指揮した敷設艦常盤艦長中西大佐は第一波の強行偵察隊の飛来を受け、敷設部隊各艦長を招集しました。市街地に近い湾内で被弾した場合、大爆発により民間への被害が生じます。中西大佐は各艦に搭載されていた全機雷の陸奥湾中央部への投棄を指示しました。投棄作業を終え、大湊に帰港した正午過ぎ、アメリカ軍による空襲が開始されました。
 アメリカ軍の攻撃は湾内最大艦の常磐に加えられ、常磐は直撃弾4発を受け大破、109名の戦死者を出しました。
 6日後、終戦となり、帝国海軍艦艇による最後の海空戦として今でも語り継がれています。

敷設艦常盤
(艦長:中西虎三大佐)











特設敷設艦高栄丸
(艦長:中垣義幸中佐)

 

8月9日早朝、奇襲を受けた大湊港と湾内諸艦艇

 
 
座礁した敷設艦常盤


         大湊航空隊における機体残骸
 
 

 1945年9月9日大湊港内で行われた占領式

 

 

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