昭和二十年六月二十五日

 

大本營發表(昭和二十年六月二十五日十四時三十分)  

一、六月中旬以降に於ける沖繩本島南部地區の戰況次の如し
(イ) 我部隊は小祿及南部島尻地區に戰線を整理したる後優勢なる航空及海上兵力支援下の敵七箇師団以上に対し大なる損害を與へつつ善戰敢鬪しありしが、六月十六日頃より逐次敵の我主陣地内滲透を許すの巳むなきに至れり
(ロ) 大田實少将の指揮する小祿地區海軍部隊は我主力の南部島尻地區轉進掩護に任じたる後六月十三日全員最後の斬込を敢行せり
(ハ) 沖繩方面最高指揮官牛島滿中将は六月二十日敵主力に対し全戰力を挙げて最後の攻勢を実施せり
(ニ) 爾後我将兵の一部は南部島尻地區内據點を死守敢鬪しあるも六月二十二日以降細部の状況詳かならず

 
二、我航空部隊は引續き好機を捕捉し同島周邊の敵艦艇及航空基地を攻撃すると共に地上戰鬪に協力しあり

 
三、作戰開始以來敵に與へたる損害は地上に於ける人員殺傷約八萬、列島線周邊に於ける敵艦船撃沈破約六百隻なり

 
四、沖繩方面戰場の我官民は敵上陸以來島田叡知事を中核とし挙げて軍と一体となり皇國護持の爲終始敢鬪せり

海軍沖繩方面根拠地隊司令大田實少将(海兵41期)は、6月6日17時32分訣別電を送信後、20時16分海軍次官宛に以下の電報を発信、13日自決した。

 「左ノ電□□次官ニ御通報方取計ヲ得度

 沖繩縣民ノ實情ニ關シテハ縣知事ヨリ報告セラルベキモ縣ニハ既ニ通信力ナク三二軍司令部又通信ノ餘力ナシト認メタルニツキ本職縣知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ之ニ代ツテ緊急御通知申上グ

 沖繩島ニ敵攻略ヲ開始以來陸海軍方面防衞戰鬪ニ専念シ縣民ニ關シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ
 然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ縣民ハ青壮年ノ全部ヲ防衞召集ニ捧ゲ殘ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト財産ノ全部ヲ焼却セラレ僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戰ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難尚砲爆撃下□□□風雨ニ曝サレツツ乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ

 而モ若キ婦人ハ率先軍ニ身ヲ捧ゲ看護婦烹炊婦ハモトヨリ砲弾運ビ挺身斬込隊スラ申出ルモノアリ
 所詮敵來リナバ老人子供ハ殺サレルベク婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ親子生別レ娘ヲ軍衞門ニ捨ツル親アリ

 看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衞生兵既ニ出發シ身寄無キ重傷者ヲ助ケテ□□眞面目ニシテ一時ノ感情ニ駈ラレタルモノトハ思ハレズ
 更ニ軍ニ於テ作戰ノ大轉換アルヤ夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ居住地區ヲ指定セラレ輸送力皆無ノ者黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ是ヲ要スルニ陸海軍沖繩ニ進駐以來終始一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セラレツツ(一部ハ兎角ノ惡評ナキニシモアラザルモ)只管日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ□□□□與ヘ□コトナクシテ本戰鬪ノ末期ト沖繩島ハ實情形□□□□□□一木一草焦土ト化セン糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ沖繩縣民斯ク戰ヘリ
 縣民ニ對シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
 
 沖縄県平和之礎に記名された犠牲者数、 

沖縄県民148384名、県外75516名。アメリカ人14007名、イギリス人82名、台湾人28名、朝鮮民主主義人民共和国人82名、大韓民国人309名。合計238408名(2002年6月現在)

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