昭和二十年六月十一日

大本營發表(昭和二十年六月十一日十五時)  

一、沖繩本島南部地区の我部隊は其の後敵に打撃を與へつつ逐次小祿及南部島尻地区に戰線を整理し優勢なる敵に對し引續き勇戰敢鬪中なり

二、敵の第一線は六月八日小祿地区に於ては饒波川東岸、小祿、赤嶺、当間附近に、南部島尻地区に於ては具志頭、富盛、世名城、座波附近にあり

 

昭和20年6月8日、「今後採るべき戦争指導の基本大綱」を決定する最高戰争指導会議(御前会議)が宮中で開催された。席上、参謀総長代理出席の河邊虎四郎参謀次長は「今後の作戦についての所見」を陳述した。

「沖繩本島ノ作戰ハ皇軍ノ陸海空ニ亘ル決死敢鬪ニヨリ敵上陸開始以來二箇月有餘ノ間極メテ優勢ノ敵ニ對シ稀ニ見ル大ナル數的戰果ヲ収メツツ今日ニ至リマシタガ陸上ノ戰況ハ昨今相當ノ苦境ニ立至リマシタ
陸軍ノ統帥部ト致シマシテハ今後共海軍ト協力致シマシテ此方面ニ推進強化セラルベキ敵空海基地ノ制壓ヲ續行致シ敵戰力ノ消耗敵爾後ノ進攻遅滯ニ努力致ス所存デアリマス」


御前会議は事実上沖縄の放棄を了承。以後の作戦は本土決戦を先延ばしにするための特攻攻撃に限定されることとなった。

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