昭和二十年五月十四日

大本營發表(昭和二十年五月十四日十六時)  

一、南方基地のB29約四百機は本十四日七時頃より約一時間半に亘り名古屋地区に來襲し市街地に對し主として焼夷弾による無差別攻撃を加へたり
   右により名古屋市街各所に火災發生せるも十二時頃までに概ね鎭火せり

二、我制空部隊の邀撃戰果に關しては目下調査中なるも現在迄に判明せるもの撃墜八機、撃破九機なり

 

472機が初めて行われた早朝攻撃で名古屋市北部地区を襲った。焼失戸数22181戸、半焼491戸、死者276名、傷者399名の被害(東海軍管区司令部 軍律会議に於ける敵航空機搭乗員處斷顛末書)を蒙ったほか、名古屋城天守閣も焼失。第20空軍は11機を喪失した。名古屋市などで捕虜となった搭乗員11名は、7月11日開廷された第十三方面軍軍律会議により「軍罰」(銃殺)の判決を受け、翌12日小幡原射場において無差別爆撃を行った戦争犯罪人として処刑(斬首)された。

 

戻る