昭和二十年四月七日

 

大本營發表(昭和二十年四月七日十六時)  

一、沖繩本島の敵は有力なる戰車及艦砲射撃支援の下に四月六日概ね大山、宜野湾、新垣、各南側の線に進出し來り、所在の我部隊は之を邀撃敢鬪中なり

二、我航空部隊竝に水上部隊は引續き本島周邊の敵艦船を攻撃し四月一日以降同五日に至る期間に於て収めたる戰果中其の後判明せるもの次の如し

撃沈  巡洋艦 一隻
  巡洋艦若は驅逐艦 篋秘埆
  艦種不詳  篋碁埆 
驅逐艦 一隻
輸送船 篋碁埆
     
撃破 航空母艦 一隻
巡洋艦若は驅逐艦 篋碁埆
艦種不詳 篋碁埆
輸送船  篋碁埆

 

 

 

 

 


 

 

 

大本營發表(昭和二十年四月七日十七時)  

南方基地の敵航空部隊は本四月七日午前約百二十機を以て帝都附近に、約百五十機を以て名古屋附近に夫々來襲せり
戰果及被害に關しては目下調査中なり

 


4月5日通常攻撃により高速敷設艦ハリー・F・バウアー損傷。

7日中島飛行機武蔵製作所、三菱重工業名古屋発動機製作所の攻撃に、はじめて硫黄島のP51戦闘機が同行。迎撃にあたった陸軍機11機、海軍機9機が未帰還となった。アメリカ側はP51 2機、B29 5機を失った。

7日鈴木貫太郎内閣発足。

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