大本營發表(昭和二十年三月一日十六時四十五分)
一、 | 硫黄島守備の我部隊は引續き熾烈なる敵の砲爆撃下優勢なる敵に對し概ね南波止場、元山飛行場中央、城山の線に於て勇戰敢鬪中にして二月二十七日午後敵の一部は玉名山及田原坂附近に進出せり 敵の同島上陸以來二月末迄に我方の収めたる戰果中確認せる主なもの次の如し | ||
人員殺傷 | 約一萬三千五百(海上の戰果を含まず) | ||
戰車炎上又は擱坐 | 二百二十六輛 | ||
艦船 | 撃沈 | 航空母艦二隻、戰艦一隻、戰艦若くは巡洋艦一隻、巡洋艦四隻、艦種不詳七隻、上陸用輸送船六隻 | |
撃破 | 艦種不詳五隻、上陸用輸送船二十五隻、掃海艇一隻 | ||
外に陸上より認められたる大火柱七十四 | |||
二、 | 同方面の最高指揮官は陸軍中将栗林忠道にして硫黄島にありて直接戰鬪指揮に任じつつあり 同方面の海軍航空部隊指揮官は海軍少将市丸利之助 硫黄島の海軍部隊指揮官は海軍大佐井上左馬二なり |
大本營發表(昭和二十年三月一日十八時)
本三月一日七時三十分頃より敵機動部隊よりの艦上機多數南西諸島に來襲我制空部隊は直に之を邀撃十三時三十分彼我尚交戰中なり
同時迄に判明せる戰果次の如し
撃墜三十一機 損害を與へたるもの二十三機
一ヶ月後に予定された沖縄本島上陸に先立ってアメリカ高速機動部隊艦載機が沖縄、南西諸島を空襲した。特務艦杵崎、水雷艇真鶴、敷設艇燕が沈没した他、海防艦福江、水雷艇友鶴、敷設艇怒和島、駆潜艇49号等が損傷した。
硫黄島で海岸砲台によりアメリカ駆逐艦テラー、コルホーンに命中弾を与えた。