昭和二十年二月二十五日


 

大本營發表(昭和二十年二月二十五日二十時四十五分)


一、  本二月二十五日午前敵機動部隊よりの艦上機延約六百機關東地方に來襲せり
 別に同日午後B29約百三十機主として帝都侵入雲上より盲爆せり
 
二、  右盲爆により宮内省主馬寮附近大宮御所門側守衛所附近に少數の焼夷弾、爆弾落下せるも、被害僅少なり
三、  帝都各所に火災発生せるも夕刻迄に概ね鎭火せり
 其の他の損害は僅少なり
四、  邀撃戰果に關しては目下調査中なり








 

 

 


第五艦隊艦載機は再び東京を空襲、中島飛行機太田、小泉両製作所が重点的に襲われた。アメリカ側損失9機。

初めて東京市街地が第一目標となった作戦には新に第314爆撃団が参加、3個爆撃団あわせて229機が出撃した。神田、日本橋を中心に約2万戸を焼失、死者195名。XXI爆撃機集団の損害は空中衝突で2機、帰島後廃棄1機の3機だけだった。

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