昭和二十年一月三日


 

大本營發表(昭和二十年一月三日十五時)

我陸海軍航空部隊は一月二日未明サイパン島の敵飛行場を攻撃し、二箇所以上を爆碎炎上せしめたり


 

大本營發表(昭和二十年一月三日十九時三十分)

一、 本一月三日午後マリアナ諸島よりB29約九十機、主力を以て名古屋、各一部を以て大阪及濱松附近に来襲せり
名古屋及濱松に於て焼夷彈による若干の損害ありたるも、重要施設及工場には殆ど被害なし
二、

十八時迄に判明せる邀撃戰果次の如し

撃墜 
損害を與へたるもの
十八機
二十五機
我方二機未だ歸還せず
右撃墜機中三機は體當りに依る

 




 


1944年12月13日、18日、22日に続いて日本軍の航空機生産拠点戸位置付けられた名古屋市は4回目の空襲を受けた。任務番号17号、コードネームMicroscope # 1と命名された作戦には、第73爆撃団の97機が参加、57機が名古屋市に投弾した。作戦により第73爆撃団は、5機を喪失した。伊丹飛行場陸軍飛行第56戦隊の涌井俊郎中尉(陸士56期)と小牧飛行場陸軍飛行第55戦隊の代田実中尉(陸士56期)がそれぞれB29に体当たりを実施、戦死した。

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