昭和十九年十一月十四日


 

大本營發表(昭和十九年十一月十四日十五時三十分)

我特別攻撃隊富嶽飛行隊は十一月十三日夕ルソン島東方の敵機動部隊を攻撃し戰艦一隻を轟沈せり
本攻撃に参加せる者次の如し
陸軍少佐
同 少尉

同 准尉
同 曹長
西尾常三郎
柴田禎男
米津芳太郎
国重武夫
嶋村信夫
   

別に同飛行隊の陸軍中尉石川廣、同伍長宇田富福搭乗の一機は十一月七日ルソン島東方の敵機動部隊を攻撃し敵艦に體當りせるもの認むるも戰果を確認するに至らず


 


 

 

 

 


 浜松教導飛行師団で編成された富嶽隊は11月7日陸軍初の特攻隊として出撃したが、会敵せず、帰投した。山本達夫中尉(浦田六郎軍曹同乗)機は一旦基地上空に戻ったものの、反転、未帰還となった。13日改めて4式重爆”飛龍”5機で出撃、西尾隊長機(柴田少尉、米津少尉同乗)が戦闘機に撃墜された後、国重准尉機(嶋村曹長、荘司楠一郎曹長同乗)が突入、3機が途中帰投した。大本営に戦死を発表され「生きた英霊」にされた石川中尉は12月6日、宇田伍長は1月12日最後の1機(根本基夫大尉操縦、整備隊長進藤浩康大尉同乗)で出撃、戦死した。

 

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