昭和十七年六月七日

大本營發表(昭和十七年六月七日午後五時)  

大東亞戰争開始以来六ヶ月間(五月三十一日迄)に収めたる帝國陸軍の綜合戰果及我方の損害並に占領地の現況左の如し

一、綜合戰果
 イ、交戰せる敵兵力竝に敵に與へたる損害

  支那作戰(香港攻略を含まず)
 
方面 交戰兵力 敵に與へたる損害

遺棄死體

篆倩劈

蛹玲髪

約九〇〇〇〇〇

約五六三〇〇

約三三〇〇〇

約八九三〇〇

中支

約五八〇〇〇〇

約五三六〇〇

約一〇〇〇〇

約六三六〇〇

蜊玲髪

 約五〇〇〇〇

 約二五〇〇

 約一〇〇〇

 約三五〇〇

約一五三〇〇〇〇

約一一二四〇〇

約四四〇〇〇

約一五六四〇〇


 

 

 

 

  南方作戰
方面 交戰兵力 撃滅せる兵力

兵團數

内譯

香港 約一五〇〇〇 約一個師 ローソン旅團、ウオリス旅團(英、加、印兵)
比律賓 約一〇〇〇〇〇 約十一個師

米第一師團、比律賓國防軍、第一一、第二一、第三一、第四一、第五一、第六一、第七一、第八一、第九一、第一〇一師團

馬來 約一二〇〇〇〇 約六個師半 英第一八師團、濠洲第八師團、印度第九、第一一師團、第一二、第四四、第四五旅團、馬來第一、第二旅團
蘭印 約一二〇〇〇〇 約四個師 蘭印第一、第二師團、獨立大隊約一五、米英濠軍一個師團
緬甸 約一五〇〇〇〇 約十三個師

英第七機械化旅團其他六個大隊、印度第一七師團、第一三、第六三旅團、重慶第二二師、九六師、二〇〇師、四九師、五五師、九三師、二八師、二九師、三八師、ビルマ軍第一師團其他約一個師團

約五〇五〇〇〇 約三十五個師半  

























ロ、俘虜
米軍 二五〇〇〇  
英軍 六四〇〇〇   加奈陀兵 一六〇〇
内              を含む
  濠洲兵 一七〇〇〇
蘭軍 二四〇〇〇  
重慶軍 四四〇〇〇  
其他 一八五〇〇〇 緬甸に於ける重慶軍の俘虜及び國籍未調査のものを含み
内インドネシア兵約一〇〇〇〇〇は殆ど解放せり
合計 三四二〇〇〇  




















ハ、鹵獲兵器其他
火砲 三七六三門 重輕機 一一五四八挺
戰車 一四四〇輛 絨城潟 二一六七一四挺
自動車 三一五八九輛 機關車
客貨車
一二二〇〇〇輛
飛行機 二四〇機 船舶 四八隻(十一萬七千噸)外に
小舟艇二九九隻
撃墜破せる飛行機 一六三六機
(内不確實二四一)
撃沈破せる船舶並に艦艇 撃沈   砲艦一 
潜水艦一
魚雷艇一 
汽船四一
大破 巡洋艦一 
驅逐艦三 
魚雷艇五
砲艦三
潜水艦二
汽船四六

 

 

 

 

 






ニ、我方の損害
戰死 九一七四 戰傷 二〇七二〇 合計 二九八九四
飛行機  三四八 船舶 三一隻(約十六萬噸)

 

 

 

二、陸軍部隊南方占領地の現況

地名 面積(方粁) 我が領土との比較 人口(萬) 建設進捗情況
香港   一〇〇〇 佐渡と壹岐を合せるものより稍大

一〇五

占領地總督統治の下に略戰前の情態に復す、造船所を始め其他の諸工業も操業を開始し活況を呈しあり 
比律賓 三〇〇〇〇〇 略本州、四国、九州を合せるものに同じ

一六〇〇

軍政を施行「パルガス」を長とする行政府組織せしめ概ね戰前の機構を以て行政を實施中にして殆ど戰前の情態に復しあり
馬來 一三二〇〇〇 本州より奥羽、關東地方を除きたるものに略同じ

五五〇

軍政を施行、軍に軍政部、各州には知事(司政長官)を配置しあり、治安良好にして資源開發豫定の如く進行中なり
緬甸 六七〇〇〇〇 略日本本土に同じ

一五〇〇

軍政を施行、中央行政機關設立準備中にして治安概ね恢復資源開發その緒につけり
ジャバ島 一三二〇〇〇 本州より奥羽、關東地方を除きたるものに略同じ

四一七一

軍政を施行、軍政部の行政要員は軍隊と共に上陸し其他の要員も逐次充足しあ
り住民の對日感情も頗る良好にして開發豫定通り進捗しあり
スマトラ島 四五六〇〇〇 略本州と朝鮮を合せるものに同じ

七九八

軍政を施行、各州には知事(司政長官)以下所要の行政要員を配置すべく目下逐次進行中にして治安頗る良好資源の開發も豫期以上に進捗しあり
ボルネオ島其他 八三〇五一〇 日本全土の一・二倍強

六四四

行政要員逐次到着し建設は豫定の如く進捗中なり
合計 二五二一五一〇 日本全土の三・七倍強

九三六八

 









































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