12月27日

 


大本營陸海軍部發表(十二月二十七日午後六時)  

大元帥陛下には本日陸海軍幕僚長を召させられ、支那派遣軍總司令官竝に支那方面艦隊司令長官に對し左の
勅語を賜りたり

勅語

支那派遣軍及支那方面艦隊ハ緊密ナル共同ノ下ニ開戰劈頭適切ナル措置ヲ以テ在支敵權益ヲ處理スルト共ニ迅速果敢ニ香港ヲ攻略シ英國ノ重要ナル根據ヲ覆滅シタリ
朕深ク之ヲ嘉尚ス






支那派遣軍総司令官畑俊六大将(陸士12期、昭和19年元帥)は、13年2月中支那派遣軍司令官、13年12月軍事参議官、14年5月侍従武官長、14年8月陸軍大臣、16年3月支那遣軍總司令官、19年11月教育総監、20年4月第二総軍司令官。戦後A級戦犯として極東国際軍事裁判で終身禁錮の判決。
支那方面艦隊司令長官古賀峯一中将(海兵34期)は、昭和12年12月軍令部次長、14年10月第2艦隊司令長官、16年9月支那昭方面艦隊司令長官、17年11月横須賀鎮守府長官、18年5月聯合艦隊司令長官。昭和19年4月1日パラオからミンダナオ島ダバオに司令部移動中行方不明。(海軍乙事件)

マニラ市無防備都市宣言。アメリカ極東陸軍(マッカーサー大将)はバターン半島に撤退。


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