大本營陸軍部發表(十二月二十五日午後四時四十五分) 帝國陸軍部隊は各方面において敵を撃破し戰況有利に進展しつつあり、昨二十四日までにおける戰況の概要次の如し
一、香港方面
十八日夜敵の猛射を冒して香港島の上陸に成功せるわが軍は逐次要塞攻圍戰を推進しつつヴィクトリヤ・ピークを中心とする英軍最後の複郭陣地に對し陸海軍緊密な共同の下に果敢に力攻中なり
二、比島方面
(一)ルソン島
アパリ附近に上陸せる部隊はツゲガラオ附近一蔕の地區を確保しあり
廿二日リンガエン灣に大擧上陸せるわが大部隊は南進中のヴィガン上陸部隊を合せ所在の敵を撃碎しつつ怒濤のごとき勢いをもって南進しつつあり、またレガスピーに上陸せる部隊は十四日ナガを攻略、勇躍北進中にして、更に二十四日未明大部隊はラモン灣に上陸戰果擴張中なり、
一方陸軍航空部隊は引續きマニラ周邊の敵主要空軍基地を反復攻撃し、僅かに余喘を保ちある敵殘存空軍に對しさらに一大痛撃を加へつつあり
(二)ミンダナオ島
二十日ミンダナオ島に上陸せる部隊はその首邑ダバオを完全に占領し引續き同市周邊の殘敵を掃蕩中なり
三、馬來方面
マレー西方海岸地區を猛進中のわが部隊は一部をもって十九日ペナン島を攻略すると共に主力をもって二十一日午後クリアン河を渡河し随所に英軍を碎破しつつ同河南方の要衝タイピンを攻略し引續き南方に向ひ敵を追撃中なり またマレー東方地區を進撃中の部隊は十九日クアラクライ(コタバル南方)を攻略したる後引續き進撃中なり、陸軍航空部隊は地上の戰鬪に協力すると共にその主力をあげて殘存英空軍の撃滅戰を續行すると共に長驅ラングーンを空襲し着々戰果をあげつつあり
四、英領ボルネオ方面
ミリ、ルトン、ゼリヤの三地區に上陸せるわが軍は堅固なる陣地を突破したる後附近一蔕の英軍を掃蕩しつつあり
五、グアム島占領および在支敵性權益處理は順調に進展しつつあり
大本營陸海軍部發表(十二月二十五日午前十一時三十五分)二十二日以來ルソン島西部リンガエン灣沿岸に上陸中の帝國陸海軍大部隊は所在の敵を撃破しつつ南方に進撃中のところ、さらに昨二十四日拂暁有力なる我が後續陸軍部隊は強力なる我が海軍護衛部隊掩護のもとにルソン島東部に上陸を開始し戰況極めて有利に進展中なり
大本營陸海軍部發表(十二月二十五日午後九時四十五分)香港島の一角に余喘を保ちつつありし敵はわが晝夜を分たざる猛攻撃により本二十五日十七時五十分(午後五時五十分)遂に降伏を申出でたるをもって軍は十九時三十分(午後七時卅分)停戰を命じたり
大本營陸海軍部發表(十二月二十五日午後九時四十五分)香港方面陸軍最高指揮官は陸軍中将酒井隆、海軍最高指揮官は海軍中将新見政一なり
香港占領。第23軍司令官酒井隆中将(陸士20期)は、昭和13年6月張家口特務機関長、14年3月蒙彊連絡部長官、15年6月留守近衛師団長、16年11月第23軍司令官、18年3月参謀本部付き、18年4月予備役。21年9月13日刑死。
新見政一中将(海兵36期)は、14年11月海軍兵学校長、16年4月第二遣支艦隊司令長官、17年7月舞鶴鎮守府司令長官、18年12月軍令部出仕。
香港戦停戦後、スタンレー半島セントスチーブン中学校に設置された陸軍病院に日本軍が突入、約60名の患者と25名の職員を殺害。
香港戦での日本軍の損害陸海軍合せ戦死638名、負傷1339名。イギリス側損害戦死約1500名、捕虜10947名。