呉鎭守府發表(六月二十二日十一時三十分)
本二十二日敵B29約百八十機は五、六千米高度を以て九機乃至三十二機の編隊にて九梯團に分れ、九時三十分より十時四十分の間廣島灣南部より呉軍港地區に侵入、主として軍事施設に爆弾投下ののち、四國方面を經て南方に脱去せり、この間防空砲火はよくその威力を發揮し、只今までに確認せる戦果呉方面において撃墜八機、撃破三機、別に高知方面に於て一機を撃墜せり、地上及び艦船の被害は軽微なり。


呉鎭守府発表(昭和二十年七月二日午前六時)
本二日零時より二時三十分の間約八十機の敵B29単機にて呉市に侵入、雲上より盲爆、呉旧市内および廣島地區に相当の被害ありたるも市民は極めて士氣旺盛消火に従事、火災は大概五時鎭火せり、海軍として救護その他に万全を盡しあり廣島方面の陸軍また海軍の作業に全幅の支援をなしつつあり、海軍施設にも多少の被害ありたるも作戰実施に何等の支障なし



中國軍管区司令部発表(昭和二十年七月二日十三時)
一、南方基地のB29約七十機は七月二日零時三十分頃より數梯團に分れ逐次豊後水道より侵入、その一部は九州北東部を經て山口縣萩市および下関附近を攻撃、主として焼夷弾を投下の後午前四時頃までにはそれぞれ豊後水道より南方に退去せり
 右被害地においてはそれぞれ火災を発生せるも午前七時ころまでに概ね鎭火せり
二、我方の戦果に関しては目下調査中なり



中國軍管區司令部發表(昭和二十年七月二十八日十二時)

一、敵機動部隊よりの艦上機第一波二百六十機は二十八日五時五十五分紀伊水道及び豊後水道を經て中國地區に侵入、主として内海沿岸および島根半島附近の飛行場ならびに軍事施設を攻撃ほぼ同一経路を經て八時五十四分脱去せり、第二波約三百機は九時二十三分豊後水道および四國中部を經て侵入廣島灣および沿岸附近の軍事施設を攻撃の後十時十五分脱去せり
二、現在迄に判明せる戦果(陸軍部隊による)左の如し
撃墜九機、撃破四機たり


 



 

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