B29-#44-87664


墜落日時

1945年8月8日

墜落位置 東京都北多摩郡谷保村多摩川河畔(東京都国立市谷保)
所属 第20空軍第314爆撃団第29爆撃群第6中隊
攻撃目標 中島飛行機武蔵製作所
墜落原因            高射砲(日野・高射砲第114連隊第12中隊)
機体ニックネーム City of Phoenix 

 

 

 

 

 

搭乗員

機内配置 羂丞錐 階級 認識番号 生死
操縦士 SHUMATE, James L. 大尉 0-668505   X
副操縦士 MASHALL, Thomas O.  中尉 0-770705   X
航法士 POULOS, Nicholas 中尉 0-2060580   X
機関士 MORRIS, Lester C. 曹長 32361362   
爆撃手 JONES, Norman M. 中尉 0-2065467   X
レーダー操作 YASSES, Henry 中尉 0-2067995   X
中央火器管制 BRENNAN, Harold P. 技術軍曹 33949753   X 
左銃手 PAYNE, James F. 二等軍曹 34795366   X

右銃手

MILLER, Mark E. 二等軍曹 42105744   X
尾部銃手 CAGLE, Raymond G. 伍長 17004481   X
無線士 MORONE, Serafine 二等軍曹 32617362   
便乗 ANTHONY, Bob 少佐 0-430738   X


 

  中島飛行機武蔵製作所に対する最後の攻撃。第二次大戦で戦闘により喪失した最後のB29となった本機は、高射砲弾直撃により、東京都国立市谷保及び青柳にかけての多摩川と甲州街道の間の田園地帯に墜落、現場付近で発見された8遺体は、谷保天満宮北の滝乃院墓地に埋葬された。

 パラシュート脱出したMorris 曹長とMorone二等軍曹は立川憲兵分隊に連行され、立川憲兵分隊長矢島七三郎憲少佐の指示により、Morris 曹長だけが東部憲兵隊司令部に送られた。(戦後帰国) Morone二等軍曹は翌9日、分隊庁舎から約五十メートル離れた十字路で立川市民に見物させられた後、午後一時頃、憲兵隊庁舎の東隣にあった立川市立錦國民学校(現立川市立第3小学校)校庭のバスケットボールのポールで作られた十字架に縛りつけられた。錦國民学校村野孝福教頭によるGHQ法務局宛て報告は以下のように記している。

 「飛行士ハ短カキズボンノミニテ跌足上衣モツケズ、体格ハ身長大キクテ肥リ頭ノ毛ハ赤毛ヲ帯ビテアマリ長カラズ。 当日校庭ニ集合セシ民衆ハ老幼青壮年男女合セテ約八百名ヲ超エル多数ニシテ憲兵ノ指揮指導ニテ民衆ニ交互ニ竹ノ棒ニテ背中ヲ打タセタリ。先頭ニ打タセルハ松村ヨネナル老婆ニシテ息子ノカタキトバカリ力一杯ニ打チタリ。中頃飛行士苦シクナリシカ頭ヲ振リシヨリ打ツノヲ止メサセ、コップニ水ヲツギテコレヲノマセントセシガ一口二口ノミタルノミニテ後ハノマズ。依ツテ又續ケテ打タセリ。午後三時頃終リテ民衆ヲ全部帰ヘラセノチ飛行士ヲ担架ニ乗セ憲兵二人ニテカツギ他ニ一人付添ヒ学校ノ廊下ニ運ビ入レ軍医ニ診療ヲササシメンガコノ時飛行士ハ上ゴトノ如ク何カヲ言ヒツズケ居リシガ低音ト英語ノタメワカラズ」

Morone二等軍曹は、この後、立川市羽衣町正楽寺墓地に運ばれ、立川陸軍航空廠勤務という氏名不詳の陸軍中尉により斬首、埋葬された。

 



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