墜落日時 |
1945年6月22日 |
墜落位置 | 高知県高知市神田字吉野 |
所属 | XXIBC第58爆撃団第468爆撃群第793爆撃隊 |
攻撃目標 | 広島県呉海軍工廠 |
墜落原因 | 高射砲 |
機体ニックネーム |
機内配置 | 羂丞錐 | 階級 | 認識番号 | 生死 |
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操縦士 | NELSON, Earl J. | 大尉 | 0-807772 | X |
副操縦士 | TAYLOR, John D. | 中尉 | 0-771832 | X |
航法士 | DYER, Robert M. Jr. | 中尉 | 0-894890 | X |
爆撃手 | MALONEY, Frank W. | 中尉 | 0-746539 | X |
機関士 | ABLE, William S. | 二等軍曹 | 34333843 | X |
無線通信士 | CARNETT, Charles J. | 軍曹 | 39134897 | X |
発電手 | PETRIC, Stanley V. | 軍曹 | 35596104 |
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中央射撃管制手 | EINSTEIN, Alvin | 軍曹 | 12110694 | |
驫謇 | MOORE, John H. Jr. | 軍曹 | 6981418 | |
驫謇 | CALLOWAY, Jack Q. | 軍曹 | 38077131 | X |
驫謇 | PRINCE, Theodore W. | 軍曹 | 38161030 | X |
第58、第73爆撃団の195機が参加した帝國海軍最大の軍港呉海軍工廠への攻撃で、目標上空で高射砲弾が第一エンジンを直撃、太平洋にむけ離脱中、高知市神田の鷲尾山北側丘陵地帯に墜落した(本機以外に呉上空では96機が高射砲に被弾した)。 墜落現場周辺でパラシュート脱出した4人が捕まり、高知地区憲兵隊に送致され、墜落残骸から回収された7遺体は高知市朝倉陸軍墓地内に埋葬された。墜落現場から集められた機体残骸は高知市板垣会館で6月28、29日の両日、市民に展覧された。
全身火傷で拘束されたPrince軍曹は、高知憲兵隊副官山本丈夫憲中尉の指示により、朝倉の高知陸軍病院から四国軍管区歩兵第三補充隊(歩兵第144聯隊補充隊を改称)営倉へ強制収監され、26日戦傷死した。のこる3人は28日尋問のため呉海軍警備隊に送られ、7月2日の呉空襲を海軍刑務所で経験した後7月9日大船海軍収容所に移送、戦後帰国した。
戦後、Prince軍曹の医療処置が問題とされ、関係者4名が横浜BC級裁判で終身を含む有期刑判決をうけた。