B29-#44-70084
 
墜落日時

1945年6月22日

墜落位置 高知県高知市神田字吉野
所属 XXIBC第58爆撃団第468爆撃群第793爆撃隊
攻撃目標 広島県呉海軍工廠
墜落原因            高射砲
機体ニックネーム   

 

 

 

 

 

搭乗員

機内配置 羂丞錐 階級 認識番号 生死
操縦士 NELSON, Earl J. 大尉 0-807772   X
副操縦士 TAYLOR, John D. 中尉 0-771832   X
航法士 DYER, Robert M. Jr. 中尉 0-894890   X  
爆撃手 MALONEY, Frank W. 中尉 0-746539   X
機関士 ABLE, William S. 二等軍曹 34333843   X
無線通信士 CARNETT, Charles J. 軍曹 39134897   X
発電手 PETRIC, Stanley V. 軍曹 35596104

 

中央射撃管制手 EINSTEIN, Alvin 軍曹 12110694   
驫謇 MOORE, John H. Jr. 軍曹 6981418   
驫謇 CALLOWAY, Jack Q. 軍曹 38077131   X
驫謇 PRINCE, Theodore W. 軍曹 38161030   X

 

第58、第73爆撃団の195機が参加した帝國海軍最大の軍港呉海軍工廠への攻撃で、目標上空で高射砲弾が第一エンジンを直撃、太平洋にむけ離脱中、高知市神田の鷲尾山北側丘陵地帯に墜落した(本機以外に呉上空では96機が高射砲に被弾した)。 墜落現場周辺でパラシュート脱出した4人が捕まり、高知地区憲兵隊に送致され、墜落残骸から回収された7遺体は高知市朝倉陸軍墓地内に埋葬された。墜落現場から集められた機体残骸は高知市板垣会館で6月28、29日の両日、市民に展覧された。

全身火傷で拘束されたPrince軍曹は、高知憲兵隊副官山本丈夫憲中尉の指示により、朝倉の高知陸軍病院から四国軍管区歩兵第三補充隊(歩兵第144聯隊補充隊を改称)営倉へ強制収監され、26日戦傷死した。のこる3人は28日尋問のため呉海軍警備隊に送られ、7月2日の呉空襲を海軍刑務所で経験した後7月9日大船海軍収容所に移送、戦後帰国した。 

戦後、Prince軍曹の医療処置が問題とされ、関係者4名が横浜BC級裁判で終身を含む有期刑判決をうけた。

 


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