墜落日時 | 1945年4月24日 |
墜落位置 | 北緯34度36分、東経138度31分 |
所属 | XXIBC第73爆撃団第499爆撃群第877爆撃隊 |
攻撃目標 | 日立飛行機立川製作所 |
墜落原因 | 戦闘機 |
機体ニックネーム |
機内配置 | 氏名 | 階級 | 認識番号 | 生死 |
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操縦士 | ANTONUCCI, Ray P. | 中尉 | 0-494486 | X |
副操縦士 | SANSOM, Jack R. | 中尉 | 0-806349 | X |
航法士 | MEGAHAN, Urie W.I | 少尉 | 0-695684 | X |
爆撃手 | RICHARDSON, Lute A. | 少尉 | 0-695968 | X |
機関士 | MOORE, Kenneth W. | 中尉 | 0-860523 | X |
レーダー手 | DINDO, Angelo L. | 軍曹 | 31066389 | X |
通信士 | STEINFELDT, Charles H. | 二等軍曹 | 16056651 | X |
中央火器管制 | MEYER, John A. Jr. | 軍曹 | 39408783 | X |
右銃手 | SWAKE, Robert D.. | 軍曹 | 38472573 | X |
電気専門員 | ZONDLO, Henry | 軍曹 | 12134946 | X |
尾部銃手 | KROPF, Jack M. | 軍曹 | 37501427 |
目標上空で戦闘機の攻撃を受け駿河湾に逃走、コックピットから発煙し、前輪を下ろして乗員が脱出しているのが確認された。パラシュート10個の開傘を確認した編隊長Canada大尉(4月28日宮崎県沖で戦死)は救難機の到着まで頭上を旋回していたが、救難機が到着した時点で乗員の生存は確認できなかった。
29日帝国海軍に救助されたKropf軍曹は5月1日海軍大船収容所に収容され戦後帰国。5月11日三重県尾鷲市三木浦町海岸にAntonucci中尉の遺体が漂着、三木浦共同墓地に埋葬された。