墜落日時 | 1945年4月2日 |
墜落位置 |
神奈川県川崎市多摩区南生田二丁目 |
所属 | XXIBC第73爆撃団第498爆撃群第877爆撃隊 |
攻撃目標 | 中島飛行機武蔵製作所 |
墜落原因 | 戦闘機(海軍第302航空隊坂田喜三郎少尉) |
機体ニックネーム | Jug Haid II |
機内配置 | 羂丞錐 | 階級 | 認識番号 | 生死 |
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操縦士 | DUSTIN, Kenneth M. | 中尉 | 0-789158 | X |
副操縦士 | MERZ, Robert B. | 少尉 | 0-758601 | X |
航法士 | POPP, Vernon L. | 少尉 | 0-698345 | X |
爆撃手 | YOSSIA, Nicholas | 少尉 | 0-695710 | X |
機関士 | DANOWITZ, Jack N. | 少尉 | 0-868103 | X |
無線通信士 | ROSS, Robert F. | 二等軍曹 | 36449843 | X |
レーダー手 | OSBORNE, William N. | 軍曹 | 31241008 | X |
中央火器管制 | EVANTEK, Robert A. | 二等軍曹 | 36584848 | X |
尾部銃手 | DAVIS, William A. Jr. | 二等軍曹 | 15064078 | X |
海軍第302航空隊坂田喜三郎少尉操縦北川良逸一飛曹同乗の月光の攻撃により、川崎市生田に墜落したJug Haid IIからは6遺体が見つかり、近くで発見された1遺体と共に現場に埋葬された。降下中パラシュートが炎上し、墜死した氏名不詳の1名は相模原市上溝の安楽寺墓地に埋葬され、戦後アメリカ陸軍により回収された。相模原市下溝で拘束されたOsborn軍曹は、東部憲兵隊司令部留置所に収監され、4月18日全身火傷から意識不明に陥り、東部軍軍医部平野建二中尉により投薬処理、小石川陸軍墓地に火葬埋葬された。